2021年8月編
八月一日 聖火リレー始めます
現在、一年越しで東京2020オリンピック・パラリンピックを開催中であるが、事前セレモニーとして、こんにち当たり前に執り行われている聖火リレーが初めて導入されたのは、昭和十一年(一九三六年)第十一回ベルリンオリンピックからだという。
第六回大会(ベルリン)は第一次世界大戦の影響でスキップしてしまい、その後敗戦したドイツはしばらくオリンピック招致どころではなかったが、第十一回大会権利は、圧倒的多数でライバル(スペイン)を下している。
時代は目下、ちょび髭おじさん政権下。
大会前年には国連を脱退しているドイツは頭上で空気を入れ続けている風船のような状態だった上、当のちょび髭おじさん自身は反オリンピック主義だったようである。(どうも、ユダヤとフリーメーソンの象徴のように捉えていたらしい)
しかし、側近は助言する。
「
「ほな、やろか」
プロパガンダのためだけに、第一回大会マラソン優勝者のギリシャ人を呼んだり、テレビ中継(当時はまだ実験段階)の導入を推し進めたりしているのだから、権力者というやつは……と思わずにはいられない。
(こんにち当たり前になったテレビ中継も、この時からと思えば「アドルフ、お前……そんなつもり微塵もないだろうが、後世に貢献しとるぞ……」と一言告げてやりたいものだ)
また、オリンピック開催=プロパガンダの構図のためにユダヤ人に対してだけではない人種差別も一旦はナリを潜めさせているのだから、何とも用意周到という名の狡賢さが見え隠れしている。(やり方としては、現代の国々も何ら変わらない気がしなくもない)
さて、聖火リレーであるが、当時ギリシャから松明で運び、東欧各国を経由してドイツまで運んでいる。
リレールートは事前に入念に下調べされ、この時の資料は後日、第二次大戦時に逆進する形で活用されたという陰謀説があったりなかったりする。
そして、ギリシャからわざわざ「聖火」を運ばせたことにも理由づけをしている——即ち、「俺ら(ゲルマン)こそがヨーロッパ文明(ギリシャ)の源流を引き継いどんじゃあ!」という、力技を堂々と発揮しているのである。
あー、うん。無理があるやろ。
ヒステリックなナショナリズムは、堂々と無茶を言うということがよく分かるエピソードだと思う。史実も何のそのである。
しかし一方で、強大な力を誇示しようと思うと、どうしても過去の栄光を自分のものにしたくなるのだろう。「我こそは」というお馴染みの精神が、悪い方向に発揮されると世の中は常に乱れるということか。
そんな発端の聖火リレーだが、現在は開催国の観光地等PRイベントに活用されている、というわけである。(情報戦という捉え方をするなら、基本姿勢はあるいは変わらないと言えるのかもしれない……邪推)
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