一月十九日 平治の乱が勃発した日
平清盛が時代の寵児に躍り出た第一次源平合戦前哨戦。
公家社会から武家社会へと本格シフトしていく過渡期に起こった武力衝突の一つ。平家が台頭するきっかけとなった政変が勃発したのは平治元年(一一六〇年)十二月九日(新暦一月十九日)——平安時代末期の頃である。
平安時代、政治文化の最高権力者は「帝(天皇)」とされていたが、末期にもなると「院(上皇)」が実権を握るようになり「帝」はお飾り的な立場に追いやられつつあった。
いわゆる院政というやつだ。
前置きとして、帝と院が決定的に対立し、そこに武士による武力介入(保元の乱=崇徳天皇 VS 後白河法皇)が勃発しているのだが、この時追いやられたのが崇徳院である(後白河法皇側の圧力で強制譲位させられた)。
因みに崇徳院は素敵な和歌を詠む傍ら、日本三大怨霊の一角を占めていたりする非常に恨みつらみと情の深い御方であったりなかったりする。
で、めでたく後白河院政を敷いたわけだが、その院政の更に後ろから口出ししていたのが南家藤原氏である
保元の乱では VS 崇徳くんで共闘した源平なのだが、その後の信西くんの平家ど贔屓人事が後々の平治の乱を招くことになる。
信西のやり方がとにかく気に入らない北家藤原氏(摂関家=従来権力者)と源氏が連んだ結果、今度は VS 信西くんクーデターが決行された。
この時、清盛は熊野詣でという名のバカンスに出かけていた(当時の流行)。
旅の道中、クーデターの一報を受けた清盛は、バカンスを中止して急ぎ京都へ舞い戻るのだが、その間に信西くんはゲームオーバー済みである。
「源氏を叩いて、海賊王に俺はなる!(某国営時代劇ネタ)」
「ほな、その前に帝と院を取り返さんとあきまへんな」
帝と院(要するに朝廷)を押さえている方が「官軍」、そこに刀を向けたら「逆賊」になってしまうため、平家はとりあえず、ど贔屓人事で手に入れたカネとコネを駆使して両名を源氏方から取り返している。
(ただ、ややこしいのは、ここでも「帝(二条天皇)」と「院(後白河上皇)」は対立関係だったりする)
晴れて「官軍」となった平家方に、次々と寝返る武士やら公家やらで一気に兵力ダウンした源氏は、ワンチャンを賭けて打倒清盛の特攻を仕掛けるのだが、もちろんあえなく玉砕した。
この時、生き残ったのが助命嘆願を受けた幼い頃の源頼朝や牛若丸(義経)だったりするのだが、大半の源氏は戦死 or 処刑で一時期表舞台から退くことになる。
そして、帝 VS 院の抗争によって、なんやかんやで両者共倒れ状態となった朝廷で、気が付くと一人勝ちしていたのが清盛だった。
ここから平家はモリモリと覇王色の覇気に目覚めて今をときめく権力者となり、平家の黄金期を創るというわけだ。
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