十一月六日 馬琴忌(曲亭馬琴の命日)

 カクヨムに身を置く以上、無視をしてはいけない日、その十六。

 日本で初めて「物書き」として生計を立てたと言われている江戸時代のスター作家。


 全九十八巻一〇六冊の完結までに二十八年の月日を費やした「南総里見八犬伝」は馬琴のライフワークにして最大のヒット作となった。

 現在でも日本文学史上最大の長編伝奇小説とされている。


 ばっくりと里見家(室町時代に実在した豪族という設定だが、史実に垣間見える実際の里見家は殆ど戦争をしたことのないのんびりとした家系だったらしい。だからこそフィクションとして扱いやすかったとする説がある)のピンチに八犬士が駆け付けて、南総を守るために奮闘する物語だ。

 発表当時から絶大な人気を博したそうだが、現在でもオマージュ作品が数多く発表されている永遠の人気作と表現して差し支えないだろう。


 一応は武士の家系の子(三男)であった馬琴(本名、滝沢興邦たきざわ おきくに)だが幼少の頃から絵本とともに育つ。

 一説によると七歳の頃には俳句を詠んだというから、文才はすでにこの頃から開花していたのだろう。


 読書が好きすぎて、学問を始めると今度は漢文きっかけで中国古典に興味を持ち、少年時代には西遊記や水滸伝にどハマりしていたようだ。

(文学少年が一度は必ず通る道、カクヨム諸兄も経験あるのではなかろうか)


 そしてやっぱり書物が好きすぎて、当時既に著名であった作家(兼絵師)の元に弟子入りし、着々と執筆環境を整えていくのである。


 この時代、漫画の原型とも言える「絵」がメインの草双紙が主力であったが、馬琴は「文字」をメインにした読本を確立していく。

 挿絵は若かりし頃の葛飾北斎が担当していた。後世、贅沢の極みみたいな話だと思う。(一流作家の選定眼はやっぱり一流ということか……)


 出発は絵本作家としてだった。

 この頃の馬琴の身辺は不幸が相次いでおり、ある意味逆境の中で創作活動を開始したといえる。(このときは違うペンネームを使用していた)

 徐々に世間に知られるようになる馬琴だったが、自然災害で家を失い居候生活をしたり、商家の使用人になったことを恥じて武士としての名前を捨てたり、何かと落ち着かない生活が続く。


 その間に結婚したり子供ができたりとライフステージの変化を経験しながら、執筆に本腰を入れ始めるのが三十代に入ってからだったりするのだ。

 冒頭で触れた「南総里見八犬伝」はアラフィフで執筆開始した超大作だ。

 人生六十年と言われていた時代である、こういう人こそ「生涯現役世代」と言うべきだろう。

 とはいえ、晩年は両目を失明し、息子の嫁に代筆を頼んで口頭筆記を続けていた馬琴である。


 嘉永元年(一八四八年)十一月六日、八十二歳で生涯を終えるのだが、その間際まで息子の嫁に代筆させていた「傾城水滸伝(日本版ほぼ登場人物の性別男女逆転水滸伝)」と「近世説美少年録(毛利元就と陶晴賢を主軸にしたイケメン戦国武将的な何か)」は残念ながら未完である。

(それよりも何よりも、江戸時代の売れっ子作家じいさんの感性が、現代のラノベと大差ないって凄くない?)

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