十一月五日 世界津波の日

 自然災害大国、日本。

 平成二十三年(二〇一一年)三月十一日、十四時四十六分頃——何かと忙しい午後のひと時を襲った未曾有の大地震は記憶に新しい。


 同年六月に「津波対策の推進に関する法律」が制定された。

 そのことから日本では、防災意識を高めることと啓発の意味を含めた「津波防災の日」が定められたのだが、選ばれたのは十一月五日だった。


 なぜ、十一月五日なのかというと、時代を江戸後期に遡る。

 嘉永七年(一八五四年)十一月五日、紀伊半島から四国を震源とする南海トラフ大地震の一つに数えられる、推定マグニチュード八・四の「南海地震」が発生した。

 当時は「寅の大変」と呼ばれていたそうだ。


 嘉永・安政期は、地震の当たり年だったということができる。


 先立って六月には「伊賀上野地震」があり、南海地震発生の前日——正確には三十二時間前には「東海地震」が発生している。

 東海地方から四国地方まで広範囲を津波が襲う大被害が起きた。


 この年、内裏火災やペリー来航などもあり、十一月後半に災異改元して「安政元年」となった。

 そのため、こんにちでは「安政伊賀地震」「安政南海地震」および「安政東海地震」と呼ばれている。

(安政は地震、雷、火事、ペリーって覚えた記憶がある)


 そして安政南海地震の二日後には九州(大分)の豊予海峡でマグニチュード七・四と推定される大地震が誘発され、翌年には江戸が揺れた(安政江戸地震)。

 これらの地震を総称して「安政の大地震」と呼んでいたりする。


 この時の南海地震で、和歌山串本には推定十五メートルを超える津波が押し寄せたそうだ。

 四国では、徳島牟岐むぎにおよそ九メートル、高知室戸むろとでも三・三メートルを観測したのではと考えられている。同じ高知でも久礼くれでは十六メートルを記録したとも言われているので、いかに高波の勢いが強かったかが窺える。

 余談だが、サンフランシスコでも一フィート(約三十センチ)程度の津波が観測されているようだ。


 単体で起こった地震でこの規模である。

 昨今、地震学者が警鐘を鳴らしている東海、東南海、南海の三連動でこられた日には、どうしたもんかと頭を抱える次第だ。

(正直、被害規模が想像を絶するので脳内整理がつかない)


 ちょうどタイムリーに某テレビ局が「日本沈没」のリメイク作を放送しているが、近い将来(というのが何十年〜何百年スパンなのだが)必ず起こるであろう巨大地震に備えるシミュレーション程度に肝に銘じておこうと思う。


 話を3・11に戻して、あの地震が世界に与えた衝撃は(ある意味)日本人以上だったようで、平成二十七年(二〇一五年)には国連でも十一月五日を「世界津波の日」として正式な国際デーに定めている。

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