六月二十二日 長崎でボウリング始めました

 誰もが一度は経験したことがあるであろう娯楽スポーツ、ボウリング。

 日本に初めてボウリング場が出来たのは、長崎県の外国人居留地内(現在の長崎市松が枝町)だったという。

 文久ぶんきゅう元年(一八六一年)六月二十二日付の長崎英字新聞が報じている。


 文久元年といえば、ロシア軍艦が対馬を占領してみたり、攘夷志士が英国公使を襲撃してみたり、福沢諭吉がヨーロッパに行ったりした怒涛の幕末期である。


 そんなご時世に、長崎では異人さん方が何ぞオシャンティーな社交場としてボウリングに集っていたわけだ。(当時のボウリングは軽食やお酒を片手に楽しむスナックバースタイルだった)

 まあ、実態としては社交という名の大事な情報交換の場であったのだろうと推察する。


 ボウリングの歴史は一説によると紀元前まで遡ることができるという。エジプトではおよそ四、五千年前の墳墓から玉とピンらしき木片等が出土しているそうだ。

 そして中世ヨーロッパ(主にドイツ)では、宗教儀式としてのボウリングが存在していたという。何の儀式かと思えば、悪魔祓いをしていたそうで、ルールや仕様にも流派があったようである。(何それ、楽しそう)


 そして、この時全国的にルールを統一し、倒すピンの数を九本と定めたのが、キリスト教プロテスタント派の生みの親マルティン・ルターだという。

 これが近代スポーツとしてのボウリングの原型らしい。

 その後、宗教家たちと共にアメリカに渡ったボウリングは、スポーツである反面、賭博の対象でもあった。


 結果、アメリカ政府公式に「九本ナインピンボウリング(=賭博)あかん」となってしまったわけだが、逞しいアメリカ人は立てるピンの数を一本増やして「これ、九本賭博ボウリングちゃいますねん」と、目から鼻に抜けるが如く法の穴を抜けて今日の十本テンピンボウリングに至るのである。

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