六月二十三日 国際オリンピック委員会創立記念日
平和の祭典、近代オリンピック。本来なら手放しでスポーツ観戦を楽しみたいところであるが、なかなかお祭りムードを許してくれない昨今の風潮と混乱には複雑な思いを抱く。
さて、時代を明治二十七年(一八九四年)まで巻き戻し、フランスは花の都パリ市においてこの日、国際オリンピック委員会(IOC)が設立された。
その後、第四十二回総会にて六月二十三日は「オリンピック・デー」と定めることが決議された。戦後間もない昭和二十三年(一九四八年)のことである。
戦後の混乱期、当時の日本はオリンピック出場を認められなかった。加えて日本は、昭和十五年(一九四〇年)に本来開催されるはずであったオリンピック(幻の一九四〇東京五輪)の開催権を返上したままだった。
ゆえに、オリンピック・デーが制定された年の開催都市であるロンドン五輪(第十四回大会)の時には、明治神宮外苑にて独自にスポーツ競技会を催していたという。
入場行進、オリンピック旗の掲揚、そして五輪代表になるはずであった選手たちによる表演が行われたそうだ。(日本オリンピック委員会=JOC公式による)
夏季大会については、過去中止になった回が数度ある。
第六回大会ドイツ(ベルリン)は第一次世界大戦の影響で中止されているし、第十二回大会フィンランド(ヘルシンキ)、第十三回大会イギリス(ロンドン)もまた第二次世界大戦の影響で中止されている。
ロンドンに関しては翌十四回大会に振り返られて開催しているが、その後はワンクッションを挟んで旧枢軸側(敗戦国)が大会開催権を博しているのも興味深い。
戦後、第十五回大会ではヘルシンキ(フィンランド)が返り咲いた。教科書では大体「日独伊三国同盟」で習うが、ロシアに抵抗するフィンランドも枢軸側だった。
ゆるっと合間にメルボルン(オーストラリア)とストックホルム(スウェーデン=馬術競技)同時開催をそっと挟んで続く第十七回大会ではローマ(イタリア)が開催権を得ている。
余談だが、固有種の多いオーストラリアの生態系を守るため、当時は馬を持ち込むのは検疫上難しく、馬術競技はストックホルムで開催された経緯がある。
(スウェーデンに関しては真っ向からフィンランドと敵対するわけでもなく、むしろ対ロシア戦で苦労しているフィンランドに、なけなしの武器をかき集めて地味に援護していたりする)
そして、戦後の混乱はまだまだ続き、メルボルンはボイコットと流血沙汰が織りなす混沌とした大会となってしまった。
さくっと例を挙げると、選手レベルではハンガリー(旧枢軸側)とロシア(ソ連)が乱闘騒ぎを起こし、四十五名のハンガリー選手が西側諸国へ亡命する事態となった。
国レベルではスエズ運河に絡んで英仏に反感を持ったエジプト、レバノン、イラクが不参加。
メルボルン大会年にハンガリーに侵攻したロシア(ソ連)に抗議の意味でスペイン、オランダ、スイスが不参加。
中華民国(台湾)を認めた大会に反発した中国が不参加。
枚挙に
それを踏まえた上での、イタリア開催に続く一九六四年の日本開催である。国際的に戦後のわだかまり解消を急いだ感がそこはかとなくするのも面白い。
そう考えると、オリンピックには常に波乱とドラマが満ちている。今季の東京大会では、選手の健康と安全を第一に、地方民の私はお茶の間でお煎餅を片手にそっとエールを送ろうと思う。
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