十一月十九日 ゲティスバーグの演説

 アメリカ合衆国南部ペンシルベニア州の田舎町ゲティスバーグ。

 南北戦争の転換期ともなった一つの武力衝突(三日間の戦闘で五千人以上が死傷したとされる)の地となったこの場所には、現在、ゲティスバーグ国立戦没者墓地がひっそりと広がっている。


 この墓地の開所式に臨席した、時の大統領(第十六代アメリカ合衆国大統領)エイブラハム・リンカーンの演説はアメリカ史ひいては世界史上最も有名な演説の一つとされている。

 大きな意味での内輪揉めによって命を落とした人々の栄誉を讃えつつ新生アメリカの「自由と平等の原則」を訴えたわずか二分ほどの演説であったが、部分でもそれを知る人は多いと思う。

 大統領が行うには非常に短い演説ではあったが、これは当時の式典の進行上「適切に短い声明」を依頼されたからだといわれている。


 Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

「八十七年前わたしたちの父親たちはこの大陸にもたらした、新しい国家を——人は皆自由であり、平等であるように創造されているという信条の(新しい国家である)」から始まるシンプルなスピーチだ。

(単語の前後関係並べ替えるのめんどくさいので、そのまま読み下して意訳するスタイル)


 このスピーチの最も有名な部分は、最後の締めの言葉だ。

 - and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

「(前文を受けて)そして、人民の人民による人民のための政治を地上から亡くしてはならないと(構文の冒頭に戻って、ここに固く決意する)」


 ネット整備が進み、国務省出版「アメリカの歴史と民主主義の基本文書大統領演説」として、演説原文とともに日本語訳が掲載されているので一度目を通してみると、なかなかに興味深い。

(私のはあくまでも意訳。スッキリ綺麗な日本語文章を読みたい人は公式必見だ)


 この「ゲティスバーグ演説アドレス」が行われたのは、文久三年(一八六三年)十一月十九日——日本では激動の幕末期にあたる。


 ゲティスバーグで武力衝突していた時期、日本では薩英戦争をしていたし、尊皇攘夷派が挙兵して三日で制圧された(生野の変)翌月に、リンカーンの演説は行われているという、ざっくりとした時間軸だ。


 ところで、リンカーン大統領を「アブラハム・リンカーン」と習った世代には、発音に忠実な「エイブラハム」ってやっぱり違和感があるなあ……と、しみじみ思ったりする。

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