四月十九日 忠敬さん、地図作るってよ。

 伊能忠敬が、日本地図を作成するために北海道・樺太・千島の測量へと出発した日。


 なぜ、北海道から始めたかって?

 そりゃ、虎視眈々とロシアが南下を目論んでいたからさ。


 端を発した寛政十二年(一八〇〇年)、四月十九日。人生六十年と言われたこの時代、元々商人であった彼が、引退後に測量と天文学を学び、旅に出たのは五十五歳の時であった。この後、十七年かけて日本全土を踏破し、実測に基づく本格的な日本地図を製作した、その最初の一歩の日だ。


大日本沿海輿地全図だいにっぽんえんかいよちぜんず」と呼ばれたこの地図は、現在の測量技術と比べても、ほぼ遜色ない出来であったという。あまりにも精巧に作られていたため、国土防衛の面から幕府によって禁制品となった。

 その禁を犯した有名な事件が、「シーボルト事件」である。


 倒幕後、明治政府へと引き継がれた地図原本は、明治六年、皇居火災で焼失した。現在、我々が目にできるのは、日本各地とアメリカに散らばっていた複写をかき集めたものである。

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