六月八日 大鳴門橋が開通した日

 本州と四国を繋ぐ橋の一つ、大鳴門橋。渦潮発生海域である鳴門海峡を跨いで四国(徳島県)と淡路島(兵庫県)を繋ぐ交通の要所だ。

 開通したのは昭和六十年(一九八五年)六月八日。上下二層構造の巨大な吊り橋は、渦潮に影響が出ないよう配慮された多柱基礎工法がとられているという。


 ナニソレ?

 平たく掻い摘むと、潮流の早い海域に適した土台である。まるでフォークを海中の硬い岩盤にぶっ刺すイメージだ。複数本単位の柱を海上まで伸ばし基礎底盤でまとめて固める。それが橋脚の土台となる——ということらしい。

 狭い海域ゆえに潮の流れが速く、海が荒れると唯一の交通手段である海上輸送も止まるため、鉄道・自動車道が開通するのは地元民の念願だったそうだ。

 その構想は大正時代から始まっていたようであるが、如何せん。当時の日本には、潮流の激しい海域に耐えうるだけの巨大な吊り橋を建設するだけの技術力がまだ無かった……。


 そうこうしている間に、怒涛の戦争ラッシュがやってくる。


 ボロボロ状態から、「もはや戦後じゃない」スローガンと共にがむしゃらに頑張る高度経済成長期、昭和四十四年(一九六九年)にようやく具体的な計画内容が盛り込まれ、やっとこ着工に漕ぎ着けたと思った矢先、今度はアイツがやってくる。

 昭和四十八年(一九七三年)の原油高騰に伴う経済危機——オイルショックである。この影響で工事計画が凍結された。何とか起工式が行われたのはショックから三年後の昭和五十一年(一九七六年)のことである。


 無事に開通したのが昭和六十年だから、大鳴門橋はピチピチのアラフォー世代——綾瀬はるかと同じ年と思えば、感慨深さも一入だ。

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