八月十四日 ケルン大聖堂(三代目)が完成しました

 ドイツの西側に位置するケルンは国内四番目の規模を誇る大都市だ。当時は古代ローマの影響下にあったこの地に、四世紀の頃からケルン大聖堂(正式名称、聖ペテロとマリア大聖堂)は聳え立っている。


 平成八年(一九九六年)には世界遺産登録された世界最大規模のゴシック建築として有名だが、現在見られるのは三代目だ。

 初代は前出の通り四世紀ごろに建設され、最も古い正方形型の聖堂であったとされている。


 その後、理由は定かではないが聖堂は建て替えられることになる。

 二代目聖ペテロとマリアさんの建築がスタートし、こちらは弘仁九年(八一八年)に無事完成している。

 弘仁年間といえば、日本では藤原薬子ふじわらのくすこの変があったり、弘法大師が高野山を開いたりしているあたりだ。

 しかし、二代目は火災消失してしまった。

 それが宝治二年(一二四八年)四月三十日のことだ。日本では、時代は鎌倉に移っている。


よ建て直せ——、このバチ当たりが——!」

 当時の大司教の命により、早速、三代目聖ペテロとマリアさんの建築(というか再建)に取り掛かった。しかし、三代目の完成にはおよそ六百年以上を要することになる。

 資金難に見舞われたことも一因であるが、途中に挟んだ宗教改革が大きな足枷となった。内陣まではそれでも何とか形にしたが、そこから工事中止に追い込まれたのである。(ケルン大聖堂はカトリック派だったからね)

 次なる「ゴシック回帰」は十九世紀を待たねばならない。


 ナポレオン戦争をきっかけに、ドイツ——果てはヨーロッパ全土に「ゴシックまじカッコ良くね?」と、その価値を見直す運動が起こりやがて流行となり、政府(当時はプロイセン)の後押しと同時に大聖堂の設計図も発見され、工事再開を果たすのである。


 明治十三年(一八八〇年)八月十四日、長年の眠りから覚めた三代目ケルン大聖堂は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム一世臨席のもと、完成祝賀会が催された。国家行事である。


 二本のツノのごとし巨大な塔と三つの出入り口を持つ正面デザインファサードの重厚にして細部にまでこだわり抜いた装飾は、圧巻の一言である。

 建物幅八十六メートル、奥行き百十四メートル、高さ百五十七メートル——四十階建ビルに相当する堂々たる姿だ。

 この高さはその後アメリカに抜かれるまでは世界一であった。


 余談だが、第二次大戦中、ケルン大聖堂はアメリカの爆撃を十発以上食らい内部はボロボロに破壊されたが建物自体は倒壊を免れた。

 しかし敗戦後の混乱と資金繰りから廃材を再利用する突貫工事を余儀なくされており、九十年代に入って空襲前の状態に戻す修復作業が進められているそうだが、現在も修復中なのかは記事が上がってこないので何とも言えない。

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