八月十五日 終戦の日

 昭和二十年(一九四五年)八月十五日、前日にポツダム宣言を受け入れ、四年に及んだ太平洋戦争は日本の敗戦を以て集結した。

 正午に流された昭和天皇の玉音放送(終戦の詔書)の中盤に出てくる「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」は当時を知らない世代も知るところだ。


 四分半ほどにまとめられた詔書の全文に改めて目を通すと、実によく考えられた文章だと感心する。古く独特の言い回しだが、現代語に置き直して読むと更に理解が深まるというものだ。


 実は、この放送のレコード原盤は二枚存在する。

 昭和天皇たっての希望でリテイクしているそうだ。そして実際にラジオに流れたのは二回目に録り直したものであるという。

 昨今、便利な世の中になったもので当時の原盤をデジタル処理してオンラインで視聴できる。原盤の保存状態も非常に良かったからだろう、音声もクリアで大変に聞き取りやすいことに驚いた。


 有名なのは「耐え難きを耐え」の下りだが、私が個人的に心に刺さったのは終盤の文言だ。


「もしそれ、情の激するところみだりに事端をしげくし、あるいは同胞排擠はいせい、互いに時局をみだり、ために大道を誤り、信義を世界に失ふがごときは朕最もこれを戒む」

(もし激情にかられてむやみに事をこじらせ、あるいは同胞同士が排斥し合って国家を混乱に陥らせ、そのために国家の方針を誤って世界から信用を失うようなことは、私はもっとも戒めたい)


 全文を通して敗戦国の国民を守ることに注力しているのが伝わる文章構成だが、終盤に持ってきたこの一文は特に重たいと思っている。


 個人のプライドを優先するなら、自決しても良かったのだ。ちょび髭おじさんみたいに。でも、それをしようものなら、当時の時代背景を鑑みても後追い自決(と一家心中)を強行する者も後を絶たなかっただろうし、何より残された人々が何をしでかすか分からない。

 また、欧米式の植民地化(あるいは敗戦国の搾取)は伝統的に、その地域の人間の人権は非常に軽いものであった。そこに暴動など起ころうものなら、徹底的に殲滅されたであろう。

 実際に、「戦争が終わって安堵した人」もいるが、「なぜここで諦める。悔しい」と涙する人だって存在したのだから、可能性としてはゼロじゃない。


 現代と違い神格化されていた「天皇」という存在から引き摺り下ろされる(一部には過激に扱き下ろす人もいるが)ことになったが、それも全部引っくるめて茨の道を歩む決意をされたのだなと、つくづく思う。

 それが終戦時の戦死者数のべ三一〇万人と以後増え続ける関連死者の命の重みに対する姿勢なのだろう。


 かくいう私も戦後教育を日教組がバリバリに力を持っている学校で受けたわけだが、まあ極端な教えだったなと今になって思う。

 確かに、良し悪しも清濁も一体だ。綺麗事や理想を並べても結果として大勢の人間が死んだのだから、どんな理由であれ戦争は悪だと思っている。


 だが、(当時の)先生方の教えはひたすら「日本が悪い」と「原爆はグロい」に傾倒してたなと懐古する次第だ。

 極め付けは「お前たちの祖父母は犯罪者だ。だから原爆を落とされた」と発言したことだろう。これには流石にPTAから速攻で物言いが入り、発言した先生はその後沈黙に徹することになった(撤回はしてない)。そして翌年には突如他校へ転勤になった。


 史実は直視するべきだし、正しい歴史観は大切だと思う。

 だからこそ、感情論や憶測や暴言ではない、フラットな世界観、物的根拠に基づく歴史観で事実を一つ一つ紐解くべきなのだと思う。

 そして同時に、歴史には「多面性がある」ことも念頭に置く必要が、教える側、学ぶ側双方に必要ではないだろうか。

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