九月十七日 スペースシャトル初号機を公開しました

 昭和五十一年(一九七六年)九月十七日。

 この日、世界初の再利用型宇宙飛行船の実験機が一般公開された。

 実際に宇宙へ行くのではなく、あくまでも滑空実験用としてお目見えしたわけだが、それでも「行って帰ってまた行って帰る宇宙船」のプロトタイプは全米を大いに沸かせたそうだ。


 ちょうどアメリカが独立宣言をし、独自の合衆国憲法を持つようになってから二百年という節目にあたる年だ。

 アメリカ史上、最も有名な帆船と謳われるアメリカ海軍フリゲート艦と同じ「憲法コンスティチューション」と名付けられる予定だったが、第三十八代ジェラルド・フォード大統領(当時)の元には、全米から「ぜひ、エンタープライズ号と命名してほしい」という要望書が多数届いたそうだ。


 この名前にピンとくる世代は、そのとおり。

 往年の人気SFドラマシリーズ「スタートレック」に登場する宇宙船の名前である。結果、初号機はコンスティチューション改め、エンタープライズ号となった。


 エンタープライズはあくまでも大気圏内滑空仕様だが、同時期に製造開発され、宇宙へ飛んだ機体(あえて一号機と呼ぶ)が「チャレンジャー」だ。

 昭和六十一年(一九八六年)、十回目の宇宙フライトミッションで発射後わずか一分強で爆発し、搭乗した宇宙飛行士全員が死亡するという痛ましい事故を起こした、あの機体である。

 製造としては先輩に当たるチャレンジャーだが、実質的に初めて宇宙へ飛んだのは、二号機「コロンビア」が先だ。昭和五十六年(一九八一年)のことである。(チャレンジャーの初飛行は昭和五十八年)


 その後、三号機「ディスカバリー」、四号機「アトランティス」、新五号機「エンデバー(チャレンジャー爆発事故の後、ストックスペアパーツで一から製造された機体)」などのスペースシャトルが二十世紀の宇宙を順繰りに飛び回ったというわけだ。


 だが、チャレンジャーの事故に続いて、二号機コロンビアもまた、平成十五年(二〇〇三年)のミッションで地球に帰還する際、大気圏突入後に空中分解し搭乗員七名全員が死亡する事故を起こして喪失した。

 これ以上、スペースシャトルを運用するのは限界であると、ある意味決定付けた事故だったと言える。

 平たく掻い摘むと、「メンテ代もバカにならんし、耐用年数限界ちゃう?」という理由で順次引退していき、平成二十三年(二〇一一年)に全機退役完了している。


 現在は、三号機「ディスカバリー」がアメリカ国立航空宇宙博物館の別館に展示されている。後輩に追い出されたエンタープライズ号は、ボーイング機におんぶされてニューヨーク市マンハッタンにあるイントレピッド海上航空宇宙博物館に移送され、今なお同地に鎮座している。

 四号機「アトランティス」は全スペースシャトル通算一三五回のラストフライトミッションを終えてケネディー宇宙センターへ帰還したのち、同施設内ビジターセンターにて展示されている。

 そして、新五号機「エンデバー」はミッション終了後カルフォルニア科学センターに移送された。


(それぞれの機体の移送中写真が残っているので、興味のある方はぜひ見てほしい。改造ボーイング機の背中にちょこんと乗ってる実に可愛らしい光景だ)

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