六月三日 福本豊が世界の福本になった日
昭和以前のナイスダンディーたちが若かりし頃、野球界のスーパースターの名前を挙げたら必ず挙がるであろう一人が盗塁王、福本豊氏だと思う。実際、私の亡き祖父は福本氏の大ファンだった。
阪急ブレーブス(現在のオリックスバファローズ)に所属していた同氏が盗塁数世界記録を樹立したのは、昭和五十八年(一九八三年)六月三日のVS西武ライオンズ戦(ビジター試合)だった。
本人としてはブレーブスの本拠地である西宮球場(現在の阪急西宮ガーデンズ)で世界記録を達成する気満々だったらしく、この試合では「そこそこ頑張ろう」としていたらしい。(おいおい……)
九回表、二塁まで進塁した同氏は、たびたび牽制球とショートのカバーを入れられて苛立っていた。そして、「ついカッとなってやってしまった(本人談)」で、三塁を落とす。
この瞬間、MLB記録を塗り替え盗塁数世界一が記録された。
日本の盗塁王福本豊は名実ともに「世界の福本」となったのだ。
本人が(しもたぁ——!)と思っている間に、ライオンズ球場では敵陣選手の偉業を祝福する花火が打ち上げられる。何とも微笑ましい失敗談(本人曰く)である。
その後は開き直ったかのように、怪我を乗り越え記録を伸ばし引退時の累積盗塁数は大台突破の一〇六五に到達していた。
引退についても、冗談かと思うような逸話が残っている。
昭和六十三年(一九八八年)十月二十三日の試合を最後に引退を表明していたチームメイト山田久志投手について語る際の監督の言い間違いにより、山田投手とともに福本氏も一緒に引退することになった。
迷言「去る山田、そして福本」発動である。
本当は、「そして残る福本」となるはずであったが、同氏は「え、監督が言うなら(引退します)」とあっさり去っていった。
もしこの時の言い間違いがなければ、盗塁数は更に伸びていた可能性は否定できない……。
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