七月六日 ピアノの日

 日本に初めてピアノが持ち込まれたのは、文政六年(一八二三年)のことだったという。


 持ち込んだのはドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト——当時、伊能忠敬が作成した日本地図があまりに精巧であったため、国防の面から「よそ様は見たあかん」と言われていた地図を含む禁制品を「いや、見たいですやん。純粋な研究目的ですやん」とかき集め、結果、出禁を食らった「シーボルト事件」のシーボルトさんである。


 そのシーボルトさんの持ち込んだピアノは現在、山口県萩市の熊谷美術館に保管されている。カチッとしたスクエアフォルムが美しい家具調仕立ての飴色のピアノは一八〇六年のイギリス製だ。

 一音あたり二弦という複弦構成で、鉄線五十二音、黄銅線五音、黄銅線+巻線十一音という、当時ではスタンダードな仕様だという。ロルフ社の製作したこの小型ピアノは足を取り外して持ち運びが可能というポータブル性能を有している。


 幕府に怒られ日本出禁を食らったシーボルトさんが、友人熊谷さんに「これ上げる。俺のこと忘れんとってな」と残していったという逸話があったりなかったりする。


 さて、日本で初めて製造されたピアノはアップライト式で、明治三十三年(一九〇〇年)のことである。

 製作したのは日本楽器製造株式会社——現在のヤマハである。(のちの河合メンバーも含まれている)


 もっとも、それ以前からイギリス留学した面々によって、ピアノやオルガン製作のトライ&エラーは繰り返されており、それありきの初の国産ピアノというわけだ。(ただし、当時は細かい部品のほとんどを輸入に頼っていた)


 本格的な純国産ピアノの誕生は、昭和十六年(一九四一年)頃のことだというが、この頃は太平洋戦争がきな臭い。戦争需要にピアノ生産が負けた格好だ。

 国産ピアノ製作ラインは戦後を待たなければならない。そう考えると、案外最近の出来事なのだ。

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