十一月十日 良いトイレの日
昭和六十一年(一九八六年)十一月十日、一般社団法人日本トイレ協会主催の第一回トイレシンポジウムでもって可決制定された日。
十一月十日(一一一〇)と「
因みに、このトイレシンポジウムは毎年開催されており、今年二〇二一年も無事に第三十七回トイレシンポジウムが開催決定している。
当然ながらトイレに特化した話題を真剣に議論する場である。
パネルディスカッション、注目のトイレをテーマにした講演会、公衆トイレを対象としたグッドトイレ賞の選定等々、なんだか楽しそうな会議だ(個人の主観)
さて、実際のところ日本で初めて公衆トイレが導入されたのは明治四年(一八七二年)頃のことだという。江戸の頃は大らかだったが、西洋化が進み「立ちションあかん」が定着していく(以後、立ちションは軽犯罪となる)。
じゃあ江戸時代にトイレなかったん?
いいや、もちろんあった。
そして現代人に通じる「音姫」の原型まで備えていた。「音壺」と当時は呼んでいたらしい。
水の入った壺が備え付けられており、底の栓を抜いて物理的に水を流す仕組みだったようだ。用を足す間、排泄音が音壺によって誤魔化されるという感じの使い方だったようで、特に身分の高い女性の間ではマストアイテムだったという。昔から日本人の感性はあまり変わっていないらしいことが窺える。
そもそも「トイレを清潔に保つ」ことは風水的にも良いとされてきた。大雑把な考え方だが「循環する」ものなので、清潔に保っているともれなく金運、健康運など「巡るもの」が良くなるという考え方のようだ。
偏見かもしれないが、トイレ掃除を嫌がらずにきちんとできる人は、それだけで半ば無条件に「基本ができている人」だと思われ、トイレのきれいな店や会社は、それだけで「ちゃんとしてる企業」と思われる傾向にあるのは事実だ。
イエロー◯ットの社長は誰よりも早く出社して真っ先に従業員用トイレの掃除をしている——という逸話は有名だ(新社会人になったばかりの頃、合同企業研修の場で散々聞かされた)。
一説によると人間は生きている間に、実に二十万回以上もトイレに行くそうだ。それだけの回数身を置く場所なのだから、清潔に保っていると、それだけで精神衛生にも良いのは確かにそうだ、と改めて納得する。
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