十二月八日 針供養
針仕事を休み、その年、使い尽くした古針(折れ針、曲がり針、錆針等々)を供養する民間信仰行事の一つ。
これらの針を柔らかい豆腐やこんにゃくに刺して最後のお勤めとし、関連の神社仏閣に奉納して裁縫の上達を祈願するという。
由来ははっきりとしないが、平安時代中期には原型となった風習が中国経由で伝来していたのではないかと考えられている。
針自体もまだ量産体制になかったので、一応この頃は貴重品の一つに数えても良いのではないかと思う。(針の量産はだいたい室町時代に入ってから)
現在も主に淡島神社系列で針供養は行われている。
(主祭神は婦人科系の病気治癒や安産、子宝運などに験があるとされる民間信仰神。一部は明治期以降、少彦名神=医療の神様に置き換えられたとされているよ)
古くは針仕事=女性の手仕事という構図から、そのように認識されてきたのだろう。
もっとも平安時代の絵物語である「落窪物語」でも「針仕事の上手な女性は勝ち組(※現代風意訳)」みたいな表現があるので、当時から女性の嗜みとして裁縫上手は重宝されたと考えて良いと思う。
(確かに、デスクの引き出しとかに小さい裁縫セット常備してて、昼休みとかにちゃちゃっとボタン付けとか繕い物できる先輩=デキる人って思ってたわ)
針供養の画像写真を探してみたら、想像よりも遥か斜め上にぶっ飛んだ針ダルマっぷりに思わず笑ってしまった。
針山の土台がそのまま豆腐やこんにゃくに置き換わっているだけといった、なかなか衝撃的な見た目をしている。一年で縫い針からマチ針から何まで全部総入れ替えするのか? という数に思えるのだが、はてさて……。
しかし、こういった無機物をちゃんと然るべき場所で然るべき作法で供養する精神には素直に感服する。針仕事云々以前に、大事にしたい考え方だと改めて思った。
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