二月三日 節分
鬼は外、福は内の掛け声と共に炒り豆を撒く日というイメージだが、本来は立春の前日を指すという。
立春そのものは太陽黄経の角度によって定められているため、前日である節分も稀に日付が前後することがあるらしい。
因みに、昨年二〇二一年の節分は二月二日だった(実に一二四年ぶりの not 二月三日だった)。
元々、節分は書いて字の如く「季節の分かれ目」のことを指しており、四季折々の節目(立春、立夏、立秋、立冬)の前日は全て節分と呼ばれていた。
(正月を足すと五節となる。おせちの語源だそうだ)
そして、季節の変わり目には「邪気を祓う」という伝統がある。
鬼や災いが跋扈するので、それらを追い払う行事が節分には行われる。
特に二月の節分は季節柄もっとも寒さも厳しく、体調を崩しやすく風邪が流行りやすい。それらは全て「鬼(邪気)」のせいだと考えられてきた。
じゃあ、何で豆を投げるのか?
諸説あるが、豆は「魔目(=鬼の目)」に通じるとかで、魔目を追い払えば無病息災が祈願できるという原理だそうだ。
また、豆は栄養豊富な穀類であり、昔から常用されてきた身近な健康食品だったという点も実は重要だったりする。
そんなわけで、豆を炒るのはもちろん「魔目の芽が出ないようにするため」だ。祓ったはずの邪気が庭先で根付いて発芽なんてしてしまったら、とんでもなく縁起が悪い——という心理的な要因とともに、炒ることで豆自体の長期保存が可能になるという生活の知恵が活かされているというわけだ。
(魔目を射るという掛け言葉でもあるらしい)
そんなありがたく神聖な豆だから、本来の作法では投げる前に枡に入れて神棚に祀っておくらしい。御祈祷なんぞしてもらえば尚良しということなのだが、とりあえず一般家庭では丁重に扱うという感じで理解しておく。
そして、鬼や邪気が跋扈するのは日が暮れてからと相場が決まっているため、夜に豆を投げているわけだ。
丑寅の時間(だいたい午後八時から十時の間)がベストということらしい。ただし、昨今ご近所との兼ね合いもあってあまり大声は出せないところが悩ましい時間帯でもある。
家の外に向かって「鬼は外」の掛け声と共に豆を投げる。
それで鬼を追い払ったら、窓や戸口はすかさず閉めよう。
何でも、開けっぱなしだと残ってもらう予定の福まで「ほな、わてらもこれで……」と一緒に出ていってしまうそうだ。
防犯も兼ねてきちんと戸締りしておこう。
そして家の中に残った福にも「福は内」と言いながら神聖な豆を撒くという作法だ。終わったら枡から年の数だけ豆を取って食すと無病息災が無事祈願できるというわけである。
豆苦手やねんという人は、「福茶」で代用可能だそうだ。
豆を三つぶお茶に入れたらOKで、一応お茶の種類は縁起物の梅昆布などがあればベストということらしい。あとはまったり一服するだけで完了だ。
常々思うのだが、日本のカミサマ(神事)ってだいたい大らかだなあと改めて実感する。
年齢を重ねるほど食す豆の数も増えるので、そろそろキツいなあと思っていた矢先、今年は福茶でまったりと無病息災とコロナ退散を祈願したい筆者である。
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