八月二十二日 金シャチの日

 金のシャチホコと言われて、パッと思いつくのは愛知県名古屋市の名古屋城ではないだろうか。

 実際、名古屋城の金のシャチホコを全国区にするため、行政バックアップのもと一般社団法人 日本記念日協会の認定を受けたオフィシャル記念日である。

 名古屋市の市章「マルハチ」と、二尾のシャチホコの姿が数字の「2」に似ているから、というのが八月二十二日を記念日に制定した理由だという。


 提唱人は名古屋市内のとある鍼灸院らしい。地元愛というべきか、シャチホコ愛というべきか、城本体じゃなく「金のシャチホコ」にフォーカスしているところが、何だかズレてて何だか微笑ましい。


 なるほど確かに、「シャチホコ」を屋根に乗せている城は日本全国津々浦々存在している。名古屋城以外にも、姫路城、犬山城、広島城、弘前城等々メジャーどころの名前が並ぶ。

 そもそも、「シャチホコ」とは何なのか。

 どうやら中国文化圏における架空の生き物とされている。頭は虎ないし龍で胴体は魚——キメラの一種と例えてもあながち間違いではないだろう。


 そして、尾鰭おひれがピンと天を向いた姿形が中国の「鉾」に似ていることから「シャチホコ」と呼ばれるようになったそうだ。

 何だか城のてっぺんに据えられていることが当たり前のように思われる昨今だが、最初の言い出しっぺが誰だったのか、意外なことに一説によると織田信長であったという。


 中国文化にも造詣の深かったとされる信長は、古来中国の歴代王朝で宮殿の屋根に「龍」を据えている建築を模したとされる説がある。

「龍」丸パクリではなく「シャチホコ」を据えたあたりが何とも信長らしいと言えるが、ではどこに据えたのか?

 もちろん、安土城に据えた。

 見るもの誰もが圧倒される権威を「城」に持たせる目的があったという。


 それまでの城の主な役割は要塞だ。

 派手だと「ここですよ〜」と目印を付けて狙ってくれと言っているようなものだ。しかしこれ以降の時代、全国の城は要塞という側面から「権威」を象徴するかのように見た目に拘りを持つようになっていく。


 肝心の安土城は現在、城跡しか残されていないのが惜しまれる。

 時代の最先端をひた走るニューノーマルな感性を持っていた信長の据えた「シャチホコ」が、いつの日か城共々復元される日が来ると良いなと思っているのは私だけではないだろう。


 さて、名古屋城のシャチホコに話を戻すと、一応雌雄が区別されているそうだ。大きさも微妙に変えてある。

 第二次大戦中には空襲で焼け落ちた。(まあ、目立つよねえ……)

 盗難にあったこともあるらしい。(どうやって盗んだんだ)

 さまざまな困難を乗り越えてこんにち目にしている金のシャチホコは、大阪造幣局の元職員(日本に数少ない槌金師ついきんし)によって製作されたそうだ。

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