一月二十五日 カノッサの屈辱

 時は中世、場所はヨーロッパ。

 歴史の教科書で習ったけど、正直内容はふんわりとしか覚えていない代表格(語弊)——カノッサの屈辱。

 宗教と世俗の権力が対立し、世俗の王が宗教にフルボッコにされて詫びを入れにきた事件(曲解)が起こったのは、承和四年(一〇七七年)一月二十五日、雪の降り頻る真冬のイタリア、カノッサでのことだ。

 日本では平安時代中後期あたりに差し掛かる。


 この時フルボッコにされた世俗の王が、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ四世——現在のドイツと周辺国をふんわり治めていた世俗権力のトップである。

 対してハインリッヒ四世をフルボッコにしたのが、ローマ教皇グレゴリウス七世なのだが、この二人の因縁は一代ではなく、実際のところ脈々と先々代あたりから続いているので事情は実にややこしい。


 神聖ローマ帝国と言いつつ、当時のドイツは小規模国家の塊で、どこもかしこも割とクセが強く、平たく言うと素直にトップダウンが通るような帝国体制ではなかった。

 加えて、皇帝職は世襲が罷り通らず、一代ごとに皇位を教会へ返上し、帝国内では一応、議会選出制で次の皇帝を選んで、最終的な任命権はローマ教皇が握っているという構図だ。


 更に、当時の公文書はラテン語で明記するという決まりがあり、そうなると学識の高い人材が必要となり、それはイコール聖職者だった(当時、学問は教会でしか学べなかった)。

 つまり、国家機密に関わる諸々の事情が公文書に携わる聖職者を介して教会権力に丸々掌握されてしまうことと同義であった。合法的スパイの役割を担っていた裏事情が垣間見えてくる。

 そこに表立って反発し、露骨に教会権力を追い出そうとしたのがハインリッヒ四世だった。

 しかしこれが教会権力を大激怒させ、互いに互いを罵り合う泥試合となり、そこに便乗したドイツ諸侯がハインリッヒ四世を引き摺り下ろすべく茶々入れマンボーし、結果、孤立無縁となったハインリッヒ四世が一度は泣く泣く折れた。


 そして、カノッサに滞在していたグレゴリウス七世に詫び行脚するのだが、臍を曲げ切った教皇は丸三日間ガン無視を決め込むわけである。

 これがいわゆる「カノッサの屈辱」と呼ばれる一連の顛末だ。

 因みに、滞在先カノッサは、グレゴリウス七世の懇意にしていた女性(聖職者トップのくせに愛人囲ってたよ)の領地であり持ち城だったりする。


 ガン無視決め込まれても粘り続けたハインリッヒ四世は教皇の破門撤回を得て帰国すると、今度は茶々入れマンボー隊を片っ端からフルボッコにしていき、その後もなんやかんやで教会権力とは反発し、やられたらやり返す倍返し合戦を繰り広げていたりする。


 それを一つ一つ過去に遡りつつ紐解くと膨大な情報量の世界史に手を出すことになるので、とりあえず、ふんわりやんわりばっくり流れを掻い摘んでおけばよろしいのである(結論)

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