2021年10月編

十月一日 夢の超特急が運行開始

 昭和三十九年(一九六四年)十月一日、午前六時。

 オリンピックを十日後に控えたこの日、東西輸送の大動脈、国鉄東海道新幹線が運行開始した。

 営業速度、毎時二一〇キロメートル(区間最高速度)、東京大阪間を約四時間で移動できる世界初の高速鉄道「夢の超特急」が実現した日だ。


 遡ること明治五年(一八七二年)、新橋横浜間に初めて敷かれた鉄道から始まり、その後めきめきと長距離輸送の主力を担ってきた鉄道は、昭和初期には限りなくキャパオーバーに近づいていた。


「もう一本、早いのいっとく?」

 逼迫ひっぱくする鉄道運送状況を改善すべく持ち上がったのが「弾丸特急」計画である。

 東京から下関、そこから朝鮮半島を経由して北京まで伸びる大輸送網だ。

 そのために、東京から順に要地の買い上げが進められていたのだが、太平洋戦争をきっかけに計画は頓挫し、弾丸特急は幻と消える。


 戦後しばらくは「それどころじゃねえわ」という時期が続いたが、昭和三十四年(一九五九年)に「新幹線計画」として高速鉄道工事が開始された。(この頃の東京大阪間は在来線特急で八時間以上かかってたよ)

 もとより、弾丸特急計画時に土地の買い上げが進んでいたため、紆余曲折を経てなお工事計画は割と順調だったようである。(おかげで東京オリンピックに間に合った)


 コアラのような丸みを帯びた先頭車両のフォルム、白と青のシンプル配色が先進的だったゼロ系新幹線は今見ても可愛い。

 翌年には東京大阪間全線で最高速度運行が可能となり、三時間十分ほどで移動が可能になる。

 その後、ちょっとだけスピードアップした、ちょっとだけ目つきの悪いコアラフェイスの一〇〇系新幹線(毎時二二〇キロメートルだけど、トータルすると三時間切ったよ、やったね)が登場し、東西移動にますます弾みがついていく。


 国鉄から民営化されJRとなって以降、車両開発に拍車がかかる。

 一九九〇年代に入ると更にスピードアップしたロボコップ風フェイス三〇〇系の登場で、東京大阪間は二時間半まで短縮された。

 時期を重ねて西日本では先の尖った近未来型ロボットフェイス五〇〇系が登場し、ミレニアムを目前に東西JR共同開発のカモノハシフェイス七〇〇系がデビューした。

 スピードは五〇〇系と変わらない程度に据え置いたが、代わりに車体の軽量化と振動の軽減、環境に配慮したエコボディが売りとなった。


 そして現在、進化したカモノハシN七〇〇系がさらにちょっとだけスピードアップして令和の東西輸送を支えているというわけだ。うっすら空色ボディは見るたびにテンションが上がる(個人の趣向)


 わずか半世紀余りで目覚ましい進化を遂げた「夢の超特急」——今後益々の発展と安全を祈りつつ、その始まりの日に思いを馳せたい。

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