九月三十日 ウィーンで「魔笛」が初演された日

 「魔笛」——ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの遺した最後の歌芝居ジングシュピール(完成作品)だ。

 若い王子と囚われの王女の恋愛を軸に繰り広げられる魔法と冒険のファンタジー仕立てが老若男女とっつきやすい可愛らしくも禍々しい物語であり、おそらくモーツァルト作品の中でも一、二を争う人気歌曲であろう。


 バリトンボイスとピッコロ(舞台上ではパンフルート)の掛け合いが美しいパパゲーノ(鳥刺し)のアリア、そしてソプラノ(厳密にはコロラトゥーラ=ソプラノの更に上の音域をカバー)の超絶技巧が圧巻の夜の女王のアリアなど、おそらく誰もが一度は音楽の授業などで耳にしたことがある名曲揃いの楽しい舞台だ。


 寛政三年(一七九一年)、毎度お馴染み日本では江戸時代、将軍様は第十一代徳川家斉の頃。

 太平洋を隔てた遠くヨーロッパ大陸オーストリア、音楽の都ウィーン郊外の免税館内にあるヴィーデン劇場九月三十日。果たして「魔笛」は初演を迎え、たちまち大評判となった。


 ちなみに、売れっ子問題児(暴言)モーツァルトは三月から作曲を開始し、九月二十八日に完成させている。

 演出・脚本は楽曲を依頼した劇団一座の興行主兼役者兼歌手のエマヌエル・シカネーダーだったが、楽曲完成二日後に初演を迎えている時点で、どんな興業スケジュールだったのか非常に気になるところだ。


 ざっくりとした設定としては、どこか古い時代のエジプトを思わせる場所を舞台に、夜の女王と太陽を信仰する神官ザラストロ(夜の女王は「悪魔」と表現し憎悪している)の何があったか分からないが、のっぴきならない事情を感じさせる敵対関係が根底にある。

 女王の娘はザラストロの神殿に囚われているらしい。(ザラストロは娘を「保護」しているという)

 そこに王子が登場し、なぜか森でモンスターに襲われる。そこを女王の侍女たちに救われ、対価として囚われの娘を救い出してほしいと依頼されるところから物語はスタートする。


 王子は娘の肖像画を見て一目惚れし、「わっかりましたー!」と鳥刺しパパゲーノ(女王に鳥を献上するのがお仕事)を従えて娘を救助に向かうのだ。この時、女王は王子に「魔笛」を、鳥刺しに「銀鈴」をそれぞれ授与しているのだが、これが物語の端々で地味に活躍する重要アイテムである。


 物語の前半では、夜の女王が可哀想な人であり、神官ザラストロが悪者という展開で進むのだが、これが後半になるとガラリと立場が入れ替わる。

 実際に神殿に赴いてザラストロと接し、王子は「あれ、この人めっちゃエエ人やん」と、簡単に掌を返す。挙句、「女王の娘と結婚したいので頑張りまっす!」と修行(試練)を開始する始末だ。

 様子を見に来た女王の侍女たちは、その光景におったまげるのである。


 女王の娘は囚われていた際の見張り(役割を利用して娘を常に口説いてたよ)から無事に逃げ仰せて女王の元に帰るのだが、ザラストロ憎しの女王は娘に短剣を渡して「ってこい」と高らかに狂気を歌い上げる。

 いや、まじで何があった、夜の女王。

 なぜそこまでザラストロが憎いのかは劇中では明言されないのだが、復讐と憎悪に燃える女王は、ザラストロの神々の祝福(イシス神とオシリス神がモデルと思われる)の前に、最終的に自らを滅ぼすことになってしまうのだ。


 一方で、無事に修行を終えた王子と女王の娘は、てんやわんやの妨害を乗り越えゴールインし、ふざけ回っていた(そういう役所)鳥刺しもちゃっかり奥さんをゲットしてハッピーエンドを迎えている。


 え、やっぱり夜の女王可哀想じゃない……?

 そう思ってしまうのは、あるいは私が捻くれているからかもしれない。

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