九月八日 時代は「明治」になりました

 慶応四年(一八六八年)九月八日。

 この日に時代は一つの節目を迎えて新しい時代へと移り変わった。

 天皇一世に元号は一つとする「一世一元の制を定めたみことのり」とともに、元号が「明治」へと改められた。


 さて、この「明治」という元号は、古い時代の中国の占い本が元になっているそうだ。

 正式には「易経えききょう(あるいは周易しゅうえき)」と言われる古い古い儒教の経典らしい。どのくらい古いかというと紀元前八世紀ごろまで遡るくらい古いらしい。


 六十四卦と呼ばれる「経」とその解釈「十翼」から成り立つ。

 陰陽の交わり(こう)を三本線で表した合計八種類の組み合わせ「八卦」を用いるのだが、この八卦を二組使い、八卦×八卦=六十四卦で占うというやり方らしい。(当たるも八卦当たらぬも八卦というコトワザはここから来てるよ)


 現存している「易経」の一つは清家文庫が所蔵しているが、それでも魏の時代に引き継がれた写本の写本である。書いてあることが難解すぎるため、わざわざ注釈を付けてくれた偉い人がいたようだ。

(それが王弼おうひつという儒学者であり政治家なのだが、残っている肖像画から相当ご年配だと思っていたら、わずか二十四歳で夭折している……)


 易経の写本(それでも十分貴重資料!)は、写真だけなら京大の貴重資料デジタルアーカイブで見ることができる。この本の「十翼」に属する「説卦伝」の一説に「明治」が隠れている。


 それが「聖人南面而聽天下、嚮、蓋取諸此也。」という文言だ。


「聖人は南に面して天下を聴き、むかってめるものだ、つまりはこれ(易経)に則ることである」といった意味だ(ばっくり意訳)。


 天下を治める人間が南に正体せいたいしていると、世の中は上手くいくという考え方らしい。

 京都の右京区、左京区も実際の立地は左右が反転しているが、これも「南面思想」に由来する。そして、大抵の神社もまた社殿は北を背にして南に正体するか、西を背にして東に正体しているが、根底に流れる考え方には同じ匂いがするというものだ。


 これから天下に君臨する「明治天皇」治世の並々ならぬ新時代を「良い時代にしたい」という意気込みが感じられる元号だなと、時代を超えてしみじみ思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る