九月三日 王貞治が最多本塁打を達成した日

 特徴的な一本足打法が印象的な王貞治氏が、世界最多本塁打を達成したのは、昭和五十二年(一九七七年)九月三日、対ヤクルトスワローズ戦でのことだ。

 三回裏フルカウントからライトスタンドへぶち込んだホームランで、七五六本目を達成し世界記録(当時)を樹立した。


 球場はもちろんお祝いムード一色だったが、大事な記録がかかった試合であるにもかかわらずテレビ番組の都合上、この試合は中継されなかったというからお茶の間は非難轟々だったことだろう。(実際、クレーム電話が凄かったらしい)


 この試合でホームランを打たれたヤクルト投手はマスコミ陣の取材攻め(なかなか過激だったようだ)を食らって潰れかけたそうだが、当の王氏はこの投手を激励している。それに応えるかたちで奮起したらしく、翌年、同投手はヤクルトを球団史上初のリーグ優勝に導く大活躍を見せているから、敵味方関係なくこれぞスポーツマンシップと思える胸熱エピソードである。


 選手として絶頂期であった王氏は、その後も記録更新を続けていくのだが、節目となった七五六本目以降の環境の変化(周囲の期待やら何やら)に、段々と圧迫感を覚えていったようだ。

 三年後の昭和五十五年(一九八〇年)、選手兼球団助監督を努めるなど精力的に活躍していた王氏だが、同年十一月、突如現役引退を表明する。

 本人曰く「自分らしいバッティングができなくなった」とのことだが、周囲はさぞかし驚いたことだろうと思う。そのスポーツを精進する上で、自身の体力の陰り(助監督兼務だとそりゃ激務だとは思うが)は選手自身にしか分からないのだろうけれど、後世レジェンドと呼ばれる人たちの引き際の潔さには頭が下がる。


 因みにホームラン数以外にも、シーズンデッドボール数、シーズン敬遠数、シーズン出塁率、シーズンOPS(得点貢献指標)、通算得点数、通算塁打数、通算打点数、通算デッドボール数、通算敬遠数、通算出塁数、通算長打数、通算OPS等の日本記録保持者でもある。

 そして、引退までの通算ホームラン数八六八本は現在も破られていない日本歴代一位記録である。

 とりあえず、本日は凄い人の凄い記録が始まった日と統括しておく。

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