十二月十一日 百円玉発行記念日

 昭和三十二年(一九五七年)十二月十一日、構成比率銀六〇パーセント、銅三〇パーセント、亜鉛一〇パーセントの銀合金「百円銀貨」が初めて発行された。今でこそ記念硬貨として発行される「銀貨」だが、初代と二代目の百円玉は日常的に「銀貨」だったのである。


 遡ること明治時代に初めて登場した百円札(大黒天札)は当時日本で最も高い紙幣だったが、時代をくだり第二次大戦中に千円札(甲号券)の発行が決定し(実際には戦後の短期間に出回って即回収された)、戦後インフレ対策でどんどん高額紙幣が登場し、気が付いたら最も安い紙幣となっていた百円札——その最後の図柄は板垣退助(B号券)だった。

 最も多く市場に出回った紙幣だったというから、おじいちゃんおばあちゃん世代のタンス預金で見たことあるという人もいることだろう。

(かくいう私の古アルバムにも資料として退助が一枚挟んである)


 非常に需要の高い金額だったことと、経済成長に伴う日常生活の中で自動販売機が世間に普及してきたことが、百円の硬貨化を促進したきっかけだとされている。

 しかし、実生活において特に田舎へ行くほど百円札の需要は根強く続いており、百円銀貨が市場に投入された後もしばらくは硬貨と紙幣が併用されていたという。

 そんなわけで、退助の正式な引退は昭和四十九年(一九七四年)八月まで引きに引き延ばされていた。そして、退助のフェードアウトともに銀貨も徐々に存在感を消していき、代わりに白銅製百円玉がじわっと市場投入されて入れ替わっていく。


 百円玉の使用頻度が突出して高いことと、銀の工業利用が激増したことによって「銀足らんわ〜」という事態になり、硬貨の素材を白銅に改めることになったというわけだ。


 現在、硬貨の表裏を定義した法律は日本には存在していないが、便宜上、額面と年号が記載されている方(例:100 平成◯◯年)が「裏」と造幣局では認識されているとのことだ。

 うむ。私は常に硬貨を裏返して勘定していたようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る