八月二十七日 ジェラートの日

「ローマの休日」と言えば、オードリー・ヘップバーン演じるアン王女とグレゴリー・ペック扮するアメリカ人新聞記者ジョーの、たった一日(ここ重要)を綴ったロマンス・コメディー映画だ。


 昭和二十八年(一九五三年)八月二十七日に全米で封切られ、一世を風靡した往年の名作である(日本では一年遅れで公開された)。

 この映画の影響で、「スペイン広場でジェラートを食べる」というのがデートの定番コースとして世界的に浸透したらしい。


 というわけで、日本ジェラート協会が一般社団法人 日本記念日協会の認定を受け八月二十七日を「ジェラートの日」に制定している。

(日本ジェラート協会自体は二〇〇六年に発足している)


 そもそも、ジェラート(gelato)とはイタリア語の「凍った」に由来する氷菓なわけだが、そのもっとも古い記述は旧約聖書に登場すると書いてあるネット情報があった。

 旧約聖書自体はヘブライ語で書かれた書物であるため、当然「ジェラート」とは表現されていない。出典元だとする旧約聖書の「創世記」に目を通したが、「山羊の乳と蜜を混ぜたもの(=氷菓の原型と解釈している)」という表現は見つからなかった。(見落としたか……?)

 代わりに、同じく旧約聖書の「イザヤ書」八章十五節には次のような記述がある。


「その名をインマヌエルと呼ぶ。その子が災いを退け、幸いを運ぶことを知るようになるまで、その子は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。」


 インマヌエルというのが後のイエス・キリストなわけだが、凝乳(他にもバター、チーズなどと表現されている)は総じてヘブライ語では「ヘムアー」と表記され、英語訳では概ね「バターミルク」となっている。

 まあ、ざっくりと乳製品ではあるが、幼児が食べる物だから離乳食的な意味合いが強いと考えられる。よって、個人的解釈として「ヨーグルト的な何か」としておくが、乳幼児に蜂蜜を与えるのは危険ではないのか……と余計な危惧を覚える。

 いや、神の子はきっと胃腸も祝福されているに違いない(曲解)


 旧約聖書説は若干の不確定要素を含むが、何はともあれ、古代から氷菓が食べられていたとする記録は世界中で散見される。

 かのユリウス・カエサルも愛し、暴君ネロもまたアルプス山脈から雪を運ばせて蜜やワイン、乳製品を混ぜて食した記録が残っているという。


 話をジェラートに戻す。

 ジェラートとアイスクリームは似て異なるものだが、ばっくりカテゴライズすると、ジェラートという親分がいて、アイスクリームという子分がアメリカで誕生した的な感じだ。乳脂肪分もジェラートの方が低いため「アイスミルク」と表現する場合もある。

 そして、本場イタリアでは「ジェラートには旬の食材」を使うことが前提なのだという。果物だけでなく野菜のジェラートもあるそうだ。


 余談だが、首都ローマをいただく南部イタリアではジェラートは「夜に食べるもの」らしい。

 なぜか?

 日中は暑いからだ。(夏場ハイシーズンは平均三十度以上ある)

「溶けるじゃん。ダメじゃん」ということらしい。


「スペイン広場でジェラート」は「ローマの休日」のハイライトシーンだが、現実的なモノの見方をすると、せっかくのジェラートはデロデロに溶けているはずなのである。

(しかし、それでは名作は生まれない。世の中には「演出」という大事なヤラセが必要なのだ)

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