十一月二十一日 世界ハロー・デー

 昭和四十八年(一九七三年)に制定された国際デーの一つ。

 今年で四十九回目となる「紛争より対話」をアピールするために、「この日に十人に挨拶して平和の輪を広げよう」というアメリカ発の平和運動の一環だという。

(ワールドハローデーのアメリカ公式サイトまで飛んだが、十一月二十一日を選んだ理由までは書いてなかった……無念)


 ともあれ、この年の十月に何があったかというと、ヨーロッパの火種、中東の火薬庫と言われるイスラエル VS エジプト、シリア、レバノンあたり(ばっくりアラブ諸国)で、スエズ運河、ゴラン高原を主戦場とする第四次となる中東戦争が勃発した。


 先立って六年前、第三次中東戦争ではイスラエルによるたった六日間の空襲によってヨルダン川西岸、シリアからゴラン高原(ばっくりとアラブ諸国領土・当時)が、ほぼ一方的な展開で占領されたことに対する領土奪還報復戦争であった。

(第三次での一方的すぎる展開で圧勝したイスラエルは「アラブ諸国ヘボいわ〜」って完全に舐め腐った結果、第四次中東戦争に発展した)


 ちなみに、この戦闘が尾を引いて第一次オイルショックを引き起こしたりしていて、回り回って日本も石油関連商品の買い占めパニックで大慌てしていた。


 初めこそ奇襲攻撃に怯んだイスラエル側だったが、圧倒的な武力差に加えアメリカの支援もあり、アラブ諸国を押し返す泥沼の展開になっていく。

 むしろ、何だったらイスラエルはエジプトにまで侵攻していた。


「これ以上の泥沼あかーん!」

 とこの時、仲裁に入ったのが国連だった。


 それが十月二十四日のことで、一応、国連の顔を立てる形で停戦と相なったという次第だ。


 ここだけ掻い摘むと、イスラエルに肩入れする米英まじあり得ん……ということになってしまうのだが、実際アラブ諸国をぶりぶりそそのかして商売していたのは当時のソ連だったりする。

 ある意味、代理戦争の犠牲になっていると言える。

 そして、その構図はソ連が崩壊した後もきな臭い空気とともに現在まで進行形で彼の地に遺恨を残し続けている。


 昭和五十七年(一九八二年)に、和平合意をもってスエズ運河を含むシナイ半島はエジプトに返還されたのだが、ゴラン高原の方は未だにイスラエルの実効支配が続いている。(イスラエルは「併合した」と表現している)

 尽きることのない領土問題と絡み合った各国の思惑——ヨーロッパの火種、中東の火薬庫と言われる所以である……。

 とりあえず、人類史上燦然さんぜんと輝く古代文明が栄えた地——これ以上の破壊行為は何とか遠慮してもらいたいと願うこの頃だ。

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