十一月二十三日 勤労感謝の日

 昭和二十三年(一九四八年)に公布、施行された日本の国民の祝日。

 先帝の譲位によって十二月二十三日が平日になったため、令和時代では年内最後の祝日となった。


「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝し合う」日と定義されている。


 戦前、この日は古来より天皇がその年に採れた穀物(=新穀)を神々にお供えして収穫を感謝する超重要宮中行事としての祭祀「新嘗祭にいなめさい」を行ってきた祝祭日であったが、戦後GHQによる国家神道払拭政策のもと名称変更されたという経緯がある。

 そのため、改正祝日法(ハッピーマンデー制度)による祝日月曜移動が適用されない固定祝日となっている。


 とはいえ、対象が何であれ「感謝」する日であることは変わらない。

 普段何気なく食卓に並べることができる食材、身近な人たちに対しての労働従事への感謝、このご時世、緊迫する医療現場で頑張ってくれている医療従事者への感謝、そういったものに今一度、神妙に思い至したい日である。


 PRTIMES のニュース記事に、少々興味深いネタが掲載されていたので抜粋すると、このコロナ禍で職場における同僚のありがたみは感じる一方、「職場に対する感謝は減少した」という内容だった。由々しき事態である……。

 簡単なようで意識していないと「誰かに感謝する」機会は自然と減っていくもののようだ。

 うん、分からなくはない——というより、改めて指摘されると身に積まされる事柄だと痛感する。

 更に、「日頃、感謝を伝え合う職場ほど、働きやすいと感じる傾向にある」そうだ。言われてみれば、確かに……。

「これくらい、出来て当たり前」

 ルーティーン化してしまうと陥りがちだ……確かに、確かに。

 一歩間違えるとコンプラ違反まっしぐら思考だ……あかんヤツやん(焦)


 見方を変えて、あるいは「働く環境があること」にも感謝できるだけの心の余裕を持ちたいものだ。

 バブル崩壊以降、不況不況と言われ続けて久しいが(吐血)、それでもこのコロナ禍で日本の完全失業率がギリ二パーセント台に留まっている(九月時点で二・八パーセント)のは、ひとえに民間の頑張りによると思っている(世界恐慌の時の失業率は二五パーセント超えてるからな……)。


(かくいう私も生キズだらけで禿げ散らかす勢いだが、まだ何とか致命傷は避けられてるぞ……っ、うぐっ)

 頼むから、早よコロナ終わって……!(心の叫び)

 そして、一緒に働いてくれてありがとう!(感謝)


 そしてそして、いつも拙作を読んでくれるカクヨムの皆さま、コメントや応援送ってくれてありがとう!(渾身)

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