一月八日 元号が「平成」になった日

 昭和六十四年(一九八九年)一月七日の裕仁天皇陛下(昭和天皇)の崩御をもって、明仁皇太子殿下(現、上皇様)が第一二五代天皇に即位し、それに伴い翌日一月八日に元号が昭和から「平成」へと切り替わった日。


 一世一元制は明治時代に導入され、明治憲法と旧皇室典範に君主が交代すると即日改元する旨が明記されていたが、第二次世界大戦後の日本国憲法及び現行皇室典範では条文が削除され、元号の扱いがふわっとなってしまった——という経緯がある。

 そのため、昭和六十四年の改元時に改めて「元号を改める政令(昭和六十四年政令第一号)」通称、改元法が施行された。


 内容は至ってシンプルだ。

 一つ、元号は政令で定める。

 二つ、元号は皇位の継承があった場合に限り改める。

 大項目は以上である。

 つまり「平成」は日本元号史上、初めて政令で定められた元号第一号というわけである。

(附則として、宙ぶらりん扱いになってしまった「昭和」も改元法のうちに含めて元号の法的根拠を補足するという対応をしていたりする)


 当時、内閣官房長官であった故小渕恵三氏(没年六十二歳)が会見時に掲げた「平成」を覚えている世代も多いことだろう。

 ブッチホン、平成おじさん等々さまざまな呼び名が付けられた御仁だが、会見当時は御年五十二歳あたりだったかと記憶している。


 実は六十四年も続いた「昭和」は、大化から始まる歴代元号の中で史上最長記録を誇る。その次にくる元号とあって新元号の注目度は国内では一大関心事であった。

 もっとも先帝の崩御とあって世間は喪に服していたし、会見時も確か小渕氏のネクタイは黒だったはずなので(うろ覚え)、令和の時みたいにお祭りムードになるはずもなく、子供心に割と淡々とした改元発表とニュース番組での報道だったように思う。


 平成かあ——なーんか、間延びしてパッとせんなあ……みたいな反応が世間にうっすら浸透してしまった「平成」だったが、一応出典元は「史記」と「書経」からそれぞれ引用されたそうだ。


 史記、五帝本記帝舜より「内平外成(内平うちたいらかに外成そとなれる)」と書経、偽古文尚書大禹謨だいうぼより「地平天成(地平かに天成る)」から取られていて、ひっくるめて「国の内外と天地とも平和が達成されますように」という感じだ。

 ひたむきで穏やかな祈りみたいな感じが個人的には割と気に入っているのだが、習字の練習ではバランスが取りにくくて難儀した思い出もある(笑)


 余談だが、「平成」という元号の候補は江戸末期——最終的に「慶応」に決まった時も候補に上がっていたそうだ。

 時代が時代だっただけに落選したが、それが見事に敗者復活戦(違)を制したと思えば、それなりに感慨深い。

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