三月四日 バウムクーヘンの日

 日本で初めて本場ドイツ人手作りによるバウムクーヘンが、広島の展示会に出品された日。

 大正八年(一九一九年)三月四日のことだそうだ。

 これが好評を博し、のちにカール&エリーゼ・ユーハイム夫妻が横浜の地で創業した一軒の洋菓子屋——それが現在の株式会社ユーハイム(兵庫県神戸市)の始まりであり、平成二十二年(二〇一〇年)に同社が記念日に制定、一般社団法人 日本記念日協会の認定を受けたオフィシャル記念日である。


 ちなみにこの時の広島で開かれた展示会は、「ドイツ俘虜展示即売会」と呼ばれていたそうで——つまり、徳島で楽しい捕虜ライフを送っていた人々キッカケでバウムクーヘンは日本に定着したというわけだ。

(カールあんちゃんは楽しい捕虜生活中、妻子を日本に呼び寄せたよ)


 そして、この時会場となった施設「広島県物産陳列館」こそが、現在「原爆ドーム」と呼ばれるあの建物である。


 夫妻は最初、横浜で店をオープンしたのだが、関東大震災で被災し、店も物理的に潰れてしまったために、神戸に引っ越してきたそうだ。

 以後、ユーハイムはどっしり神戸に本社を置いて頑張っている地方企業である。


 日本では「ドイツの(一般的な)伝統菓子」と認識されがちのバウムクーヘンだが、言葉どおり木の年輪の如く薄皮を何枚も重ね焼きしていく工程には専用のオーブンを必要とし、特殊な成形技術を要する手間とコストが超かかる贅沢品であるため、本場ドイツでは日常で食す製菓ではないらしい。

 そして、厳密に手法製法が定められていて、その条件を満たさないと「バウムクーヘン」とは呼べないというシロモノであるらしい。


 だから、日本で多く目にする類似品は「バーム」と表現されていたり、京都では、はんなりと「ばあむ」などと書かれていたりする。

 そして、面白いことにユーハイムが本社を据える神戸市では逆に、ユーハイムで修行を積んで独立した職人が自慢の腕を振るう「バウム専門店」が街中にちょこちょこオープンしていたりして、これがまた盛況だったりするから大したものである。

(ユーハイムでは優秀な職人を本場ドイツに派遣して、徹底的に鍛え上げる研修制度が存在していて、ドイツでマイスターの称号を獲って帰ってくる「バウムガチ勢」がひしめいている——と、もっぱらである)


 そんなこんなで外国人で賑わう神戸の地で、地元密着型でわちゃわちゃ楽しく営業していたユーハイムだったが、第二次世界大戦によって職人が次々と出征し、戦況の悪化と共に原材料が入手困難となるなか、昭和二十年(一九四五年)八月十四日——日本がポツダム宣言を受け入れたその日、病に臥していたカール・ユーハイムは静養先、六甲山ホテルの一室で静かに息を引き取った。

 自分が初めてバウムを出品した建物が原爆で焼かれ、終戦を見届けることなくこの世を去った氏の心境は如何ばかりだっただろうか……。残されたエリーゼ夫人は戦後、GHQによって本国ドイツへ強制送還されてしまった。(息子はウィーンで戦死していたことを後から知らされる)


 ここで終わるかと思ったが、戦後、生きて戻ってきた職人たちが再起をかけて立ち上げた会社が、現在のユーハイムに繋がるわけである。

 昭和二十八年(一九五三年)には、エリーゼ夫人を再び社長に迎えているし、夫人も死ぬまで日本にいると宣言しているあたり、非常に胸熱ストーリーである。

 そんなユーハイムの創業者ユーハイム夫妻は現在、神戸市のお隣、兵庫県芦屋市の霊園にひっそりと眠っている。

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