七月十一日 水戸の御老公さまが初めてラーメンを食べた記念日
人生楽ありゃ苦もあるさ、でお馴染みのオープニングテーマも今や懐かしい令和の昨今だが、長らく日本で初めてラーメンを食べた人物とされてきたのが水戸の御老公さまこと
光圀公は寛永五年(一六二八年)七月十一日、家康公の孫として生まれた水戸藩二代目藩主である。(旧暦では六月十日なのでややこしいが、そこは目を瞑ってほしい)
テレビ放送でお馴染みの諸国漫遊は、一応「大日本史」
とりあえず、家督を継ぐまではなかなかに度の過ぎた水戸(出身)のヤンキーだったということだけ、そっと念頭に置いておいていただければ良いと思う。
そんなツッパることが男のたった一つの勲章だと思っていた水戸ヤンに会心の一撃を与えたのが司馬遷の「史記」だったというから、人生どこで好転するか分からないものだ。
天保二年(一六四五年)二月——光圀十八歳の
勉学に目覚めた光圀の快進撃はついに三男でありながら二代目藩主に就くにいたり、葵の御紋をいただくに相応しい気骨を見せて成長する。実に少年漫画らしい典型的な
YDKであったからこそ寛文五年(一六六五年)、光圀はラーメンとファーストコンタクトを果たす。
とある明国の儒学者を水戸に招いた際、振る舞われたのがラーメンの原型だったそうだ。多分、光圀の舌に合ったのだろう。その後、家臣にもラーメン(の原型)を振る舞ったことが逸話として残っている。
二〇一七年までは、それが定説であった。
しかし、同年七月に定説を覆す説が現れる。
「ラーメンどすか? 室町時代から、それっぽいものおましたけど、何か?」
京都でとある僧侶が来客に振舞った「経帯麺(中華麺を使った料理らしい)」という料理があったそうだ。
日本人初のラーメン試食者あるいは日本最古のラーメン食いという肩書きを平成の世で奪われた光圀であるが、光圀自身がこの時初めてラーメンを食べた事実は事実である。
七月十一日が「ラーメンの日」となったのは光圀の誕生日に由来する。
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