七月十二日 孝徳天皇が即位した日

 大化元年(西暦六四五年)七月十二日。

 二日前に蘇我入鹿そがのいるかが暗殺される「乙巳いっしの変」が起こり、蘇我氏をのさばらせた(責任の所在を追求された)皇極天皇が退位したため即位した第三十六代目の天皇すめらみことである。


 第三十代敏達天皇の孫の一人であり、前出の皇極天皇の同母弟という続柄から選出され棚ぼた即位となった。

 もっとも、本人は再三辞退しているのでイヤイヤ即位であったことが窺える。ちなみに、いわゆる「元号」が開始されたのは「大化」からだ。


 便宜上、「大化の改新」を行ったのは孝徳天皇の御世ということになっている。三韓からの使者も活発に行き来している時代だ。(実際に取り仕切ったのは、おそらく皇太子である中大兄皇子なかのおおえのおうじと側近中臣鎌足なかとみのかまたりであったと思われる)


 都を奈良から大阪(難波)に遷都した天皇でもある。

 しかし哀れかな、都を奈良に戻したい中大兄皇子(皇太子)にそっぽを向かれて大阪に置き去りにされ、そのまま失意のうちに孤独に崩御した。

 六五四年のことである。(中大兄皇子は母親、皇后、奥さん、弟と臣下の大半を一切合切引き連れて勝手に奈良に帰っていった)


 孝徳天皇=大化の改新黒幕説を唱える学者もいるそうだが、私個人の見解としては重用した臣下のパワーバランスを考慮しつつ(鎌足、蘇我氏、阿部氏を満遍なく採用している)、どちらかというとアンチ中大兄皇子勢力として孤軍奮闘頑張ろうとしたのではないか、と思っている。(あくまでも個人の主観)

 ただし、在位中は内大臣職に常に鎌足さんが出張でばっているので(他の重鎮は物理的、生命的に途中リタイアしている)、やはり色々と綺麗事では片付けられない歴史の含みを感じてしまうのだ。


 唯一の息子、有間皇子ありまのおうじ(直系男系男子という意味では、本来次期皇位継承者)も中大兄皇子暗殺の容疑をかけられ(もっぱら謀略であったとされる)、逮捕から二日後には処刑されている。(それもに対して野ざらし絞首刑という酷い扱い)


 この時代、本来なら絶対的最高権力者であるはずの天皇職だが、イヤイヤ即位の果ての孤独死、そして直系血筋を根絶やしにされた孝徳天皇の無念はいかばかりだろうか。

 実にカクヨム的歴史浪漫と昼メロばりにドロドロした憶測を掻き立てる事案である。

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