一月十四日 尖閣諸島開拓の日

 明治二十八年(一八九五年)一月十四日、東シナ海南西部八重山諸島——石垣島から北方およそ一三〇から一五〇キロメートルに位置する五島三岩礁(通称、尖閣諸島)が、明治政府の閣議決定によって沖縄県の一部として編入された日。


 そのことを記念——というより「日本固有の領土ですけど何か !? 」という半ばブチ切れ国際アピールのために、石垣市が平成二十二年(二〇一〇年)十二月に「尖閣諸島開拓の日」を条例(全三条、公布即日施行)で制定している。


 一応補足しておくと、二〇一〇年といえば……九月に中国漁船が日本領海内で海保の巡視船に体当たりかましてきたアノ事件が起こった年だったりする。


 一般的に尖閣諸島と呼ばれているが、厳密には魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の五つの島と沖の北岩、沖の南岩、飛瀬の三つの岩礁を合わせて「尖閣諸島」とまとめて呼んでいるわけだ。


 当時、編入にあたり明治政府では慎重に慎重を重ねて何度も周辺調査を行ったという。

 すなわち、周辺国(当時のお隣さんは「清国」だったね)のいずれにも属していない無主地であるという点を何度も確認しての編入である。

 その後、実業家である古賀辰四郎に明治政府から貸与され尖閣の開拓が始まった。


 元々はお茶の栽培と販売を手掛ける農家の三男として生まれた辰四郎は、早速人員を派遣して諸島の探索に始まり、まずは海産物事業を展開しながら海鳥の羽毛の取引販売や漁業及び養殖業に力を入れていく。

 今でこそ無人島だが、戦前は三百人ほどの島民が定住していたそうだ。

 そんなこんなで、途中に大東諸島の開発なんかを挟みながら、その功績を認められた辰四郎は明治四十二年(一九〇九年)に藍授褒賞を受賞していたりする。


 余談だが、大正九年(一九二〇年)には同海域において「中国人遭難者を助けてもうておおきに」というお隣(この時は「中華民国」だったね☆ 名前変えすぎだぞ♪)の駐日領事から公文書としての感謝状が、同市(当時は石垣村)の漁民宛に送られていたりする。

 その書状にはバチッと「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記してくれているのだが……溜息。


 この海域に、実は凄まじい量の天然資源(天然ガスや原油)が埋蔵してるかもと言われ始めたのは、昭和四十三年(一九六八年)以降のことだ。

 その直後、世界的にパニックとなった第一次オイルショックが起こり、その余波で日本では五年後の昭和四十八年(一九七三年)、現地の資源開発調査のため旧日商岩井(現、双日株式会社)が先願権を取得している。


 この権利は、取得から三年以内に政府の許可を得て試掘権へと切り替えて商業化しないと権利を失効してしまうという特徴がある。

 で、この頃から突然どこからか不思議な力が作用し始め、その後ずーっと試掘権認可が棚上げされてのち現在のごちゃごちゃに至る……というわけだ。


 実際にどのくらいの埋蔵量があるのかは現状不明である。

 六八年時点では、原油埋蔵量世界一を誇るサウジアラビアに匹敵すると評価されていたが、一九九四年の海底探査で地下構造を検証した結果、サウジアラビアの1/30程度しかないかも……などと再評価されていたりする。


 元々は豊かな漁場である。

 カネと権力に目が眩むと本当に碌なことがない……とつくづく思う。

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