三月二十日 地下鉄サリン事件
平成七年(一九九五年)三月二十日、月曜日、午前八時二十一分。
通勤通学ラッシュのピークで混み合う東京営団地下鉄内——当時、世界でも類例のなかった大都市部において一般人を対象とした化学兵器による無差別殺人を目的とした同時多発テロ事件が起こった日。
俗に、地下鉄サリン事件と呼ばれている事件の正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」として警視庁で捜査され、海外では「Tokyo Sarin Attack」として知られている。
日本では宗教の信仰は自由とされているが、そんな宗教を隠れ蓑にした
尚、令和二年(二〇一九年)、新たに一人が逝去し犠牲者は十四名となり、後遺症などに苦しむ負傷者は六五〇〇名を超えている。
そもそも、サリンとは一体何なのかをばっくりと説明すると、神経経路に深刻なダメージを与える有機リン化合物系の毒ガスの一つである。
常温では液体だが揮発しやすく、気体となったサリンを吸うと筋肉組織のコントロールを担う神経伝達物質と結合してその機能を阻害し、全身
気体を吸入するだけでなく、サリンは液体として皮膚からも簡単に吸収されてしまう特性がある。
この事件で使用されたサリンは希釈率三五パーセント程度と言われているが、それでもペットボトルのキャップ一杯分程度で致死量となるそうだ。
一応解毒剤も開発されているようだが、救命の可能性がある中和リミットは二時間程度であり、短時間での大量患者にはとても対応できない事態に陥ってしまう。そして、副作用も覚悟しなければならない。
それほど毒性が強く、殺傷力の高い化学兵器が週初めのラッシュアワーを狙って、機密性が高く容易に逃げられない地下鉄の車内にばら撒かれた——明らかに無差別大量殺人が目的だった残虐非道極まりない犯行である。
このオカルト教団が絡んだ事件として他に、松本サリン事件、弁護士一家殺害事件と併せて「三大事件」とメディアでは取り沙汰され実行犯含め教団幹部クラス以上の関係者が有罪となり死刑判決を受けたわけだが、公安調査庁が公開しているデータによると、実際には裁判で争った凶悪事件は実に十三件にのぼり、それらが全て規模の大小を問わず殺人事件及び殺人未遂事件である。
そして、サリン以上の毒物であるVXガスや生物化学兵器(ボツリヌス菌や炭疽菌など)を使用した犯行計画まであったとされており、国内ではご法度である数多の銃刀武器類まで押収されている。
ここまでくるとガチの国家転覆レベルのテロを計画していたと言わざるを得ない。公安までが出てきて、この教団が徹底的に潰されたのは、こういう経緯があってのことだ。
この事件以降、サリン法が整備され、研究も原材料の入手も特定の機関でしか行えないようになった。
しかし一方で宗教の自由が認められている日本では、後継団体が今もなお存続している。
事件発生から二十七年を迎えた今年、四半世紀を超えた現在も、何の落ち度もなく巻き込まれた多くの人々が、事件とその後遺症に苦しめられていることを忘れてはならない。
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