十月二十一日 直哉忌(志賀直哉の命日)

 カクヨムに身を置く以上、無視をしてはいけない日、その十三。

 明治から戦前戦後の昭和を見届け活躍した白樺派を代表する文豪、志賀直哉。近代リアリズムを追求した彼の作品は、続く多くの日本人作家に影響を与えたと言われている。晩年には文化勲章を受賞している「小説の神様」と謳われる小説家だ。


 後世に知られている長編小説は意外と「暗夜行路」(完結までにのべ十六年かかっている)くらいで、比較的短編作品を手がけていた印象だ。


 明治十六年(一八八三年)に宮城県石巻に生まれ、家の都合でわずか二歳で故郷を離れて上京し、幼少期を祖父母に預けられ、十二歳の時に実母を亡くし、程なく父の再婚で継母ができる。多感な時期に経験した複雑な家庭環境も、彼は執筆を通して「作品」に昇華している。

 二十三歳の時に東京帝大英文科に入学するも転科し、最終的には中退してしまうのだが、大学在学中に多くの短編作品を発表している。白樺派立ち上げメンバーに加わったのもこの時期だ。

 白樺の創刊号で発表したのが、列車で遭遇した母と息子の様子を綴った「網走まで」だ。

 淡々とした文章は簡潔で短く、見たままをそのまま写しとるが如く表現しているが、写実的な世界が投げかける余韻の奥行きは果てしなく広い(個人の主観)


 結局、母と息子は何者なのか、どういった背景を抱えているのか、丸ごと読者に委ねてくるのだから、こちらは想像をフル稼働するほかない。

「写実の名手」には何年経とうが敵う気がしない(苦笑)


 この辺り、キャラクター設定を「作中で作者自ら語りすぎる」傾向のある昨今の小説スタイルとは一線を画している感じがする。

 想像を膨らませるヒントは作中に散りばめているが、安易にネタバレをさせない感じと言えばいいのか、「作者的正解」を出さないスタイルをひしひしと感じている次第だ(個人の主観)

 だからこそ、教科書にも読解問題として取り上げられるのかもしれない(邪推)


 邪推はさておいて、志賀直哉は近代文豪(なぜか比較的若年病死と自殺が多い近代文豪の皆さん)の中では珍しく老衰で天寿を全うした御仁だ。

 昭和四十六年(一九七一年)十月二十一日。

 直接の死因は肺炎だったようだが、享年八十八歳ともなれば十分な大往生だと思う。

 東京屈指のお墓の一等地、青山霊園に納骨されたのだが、昭和五十五年(一九八〇年)、骨壷ごと遺骨盗難にあって行方不明になった。


 その後、近くの墓石から人骨だけがまとめて放置されているのを警察が発見しているようだ。志賀直哉本人の可能性があると報道されているが、それを断定する後日記事は上がってこない。

 因みに、骨壷は人間国宝(および文化勲章受賞)浜田庄司(故人)の作だったらしい。(一九八〇年三月二十一日付け読売新聞記事より)

 盗掘者は骨壷目当てだったということだろうか……何とも罰当たりな行いである。

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