十月二十二日 中也忌(中原中也の命日)
カクヨムに身を置く以上、無視をしてはいけない日、その十四。
明治から昭和初期にかけて人生そのものの如く詩を書き続けた夭折近代文豪さんの一人。
昭和十二年(一九三七年)十月二十二日、午前〇時十分。
享年三十歳という若さでこの世を去ったが、生前残した詩は三五〇篇にもなるという。
元々、山口県吉敷郡(現、山口県山口市)で代々医者という超エリート一家の長男として生まれた中也は、当然のように医者になるべく両親からスパルタ教育を受けて育つ。
幼少期はそれでも勉学に励み、実際に優秀だったようだが、年齢を重ねるにつれ文学の道へ傾倒していき、
中也が文学に傾倒し始めたのは八歳の時だ。
風邪をこじらせた弟を脳膜炎で喪ったことがきっかけだった。中也の文学には常に色濃い生と死の影が付き纏う(と個人的に思っている)のはここに帰結するからではなかろうか。
成績不良、素行不良、果ては留年したことで中也は故郷を離れて再起を図ることになるのだが、結局、勉学ではなく文学の道を突き進んでいく。
そんな中也を両親や親戚一同は長らく「恥」だと思ってきたのだろう。金銭的な支援はしつつ、どこか忌避する態度が見え隠れするのは、そういう時代だったからだと頭では理解しているが、若かりし中也は一体どれほど孤独だっただろう……。
中也=ダダイズム(既存の固定観念、芸術的価値を根底から覆すような反芸術運動とでも言えばいいか)と教科書では習うところだが、果たしてそれで説明に事足りるのだろうか。
個人的には否だ。
独特の一読破綻しているかのような語彙、軽やかな語感、表向きメルヘンなようで、その根底にじっと横たわる「生きている」ことの証明を渇望するような重々しい含みは、むしろ泥臭いほどだ(個人の主観)
近代文豪を画家に例えるのは如何なものかと自分でも思うが、私の場合はゴッホの絵画が脳裏をよぎる。
一見明るい色彩と幻想的な構図でありながら、よく見ると現実世界ではあり得ない色使いの写実的な構成、陽気なモチーフはよく見ると真反対の現実を描いていたりする。
自分の世界を追求しながら、どこか世俗的な承認欲求が感じられるのだ。
中也もまた一見厭世的で人生を悲観しているかのようだが、これほど、「生きている、生きているんだ」と行間から滲み出てくる詩はそうそう無いとさえ思える。
そんな詩人がわずか三十歳という年齢で、遠い日に亡くした弟に続き、世間体から父の葬儀に出ることも叶わず、幼い息子にまで病で先立たれ、失意の中、自身もまた脳膜炎に罹ったことで静かに息を引き取った。
後世、何故か厭世的というイメージが付き纏う中原中也だが、残された詩や仲間内での付き合い方(絡み酒とか)や家族への情などを考えたときに、実はマイペースな「人間大好き」さんだったのではと思ったりする。
中也忌にあたって、久々に詩集を読みたくなった次第だ。
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