四月十七日 世界ヘモフィリア・デー

 ヘモフィリア。

 あまり聞きなれない言葉だと思う。日本語では血友病けつゆうびょうと呼ばれるこの病気は、簡潔にいうと「生まれつき血が止まりにくい病気」だ。


 四月十七日、出血性疾患患者のための国際団体を立ち上げた創設者の誕生日に因んで、平成十年(一九九八年)に制定された。


 私が小学四年生だったとき、この疾患を持っている男の子が同じクラスにいた。恐ろしく色白だったことを除けば、体が大きくて運動神経も良い、明るくて元気な男の子だった。


 担任の先生からは、「極力、怪我につながる危険なことはしないように」と通達され、私たちはあまり深く考えずに「はーい」と返事をするものの、その子を特別扱いするでもなく、仲良くしていたものだ。


 ある日の体育の授業中、ドッジボールが、男の子の顔面に当たった。

 鼻血が出るほどの衝撃だった。

 先生が顔面蒼白になり、男の子は鼻を押さえてうずくまった。


 押さえたタオルが、みるみる赤く染まるほどの出血で、大慌てで救急車が呼ばれた。その後、先生からは、一時間ほど血が止まらなかったと聞いた。「血が止まらないこと」の恐ろしさを、この時初めて、まざまざと感じた。


 翌日、男の子は学校を休んだが、その次の日には元気に登校してきた。本人と、ご家族の意向で今までどおり接してほしいと改めて言われた。


 男の子はそれからも、ニコニコと笑顔で元気いっぱい、クラスの男の子たちと仲良く遊んで、みんなで一緒に小学校を無事に卒業した。


 この時、私は、普段の生活に注意していれば、例え「血が止まりにくい体」だったとしても、同じように生きていけるんだと信じていた。


 そんな簡単な問題ではないということを思い知ったのは、中学二年の時だった。


 中一の二学期に引っ越してしまった私の元に、地元の友人から一通の葉書ハガキが届いた。そこには、男の子が亡くなったこと、いついつ通夜と葬儀が行われたことが簡潔に記されていた。

 何が直接の原因だったのかは書かれていない。

 だが、「血が止まらない」状況を目の当たりにした私たちにとって、それ以上追及する必要はなかった。どんな些細なことも原因となり得ると理解していたからだ。


 わずか十四年。あまりにも早すぎる同級生との別れだった。

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