八月三十一日 ダイアナ元皇太子妃の命日

 ダイアナ・スペンサー嬢と言えば、日本でも人気を博した元英国王室皇太子妃である。

 稀代の美貌が注目を集め、皇太子に見染められて「王室」へ嫁ぐというシチュエーションから現代版シンデレラのように報じられたが、実際のところ、英国内においてスペンサー伯爵家は、ルーツを十七世紀まで遡ることができる貴族であり、かつ現在まで爵位を維持し続けている数少ない名門中の名門家である。

(現在まで脈々と爵位を維持している貴族は、スペンサー伯爵家、マールバラ公爵家およびチャーチル男爵家の三家だけ)


 むしろ、大正六年(一九一七年)より始まった現王室(ウィンザー王朝=ドイツ系王室)よりも、余程由緒ある血筋の御令嬢だったりするのだ。

 当然、英国内での人気も高い。


 そして、家柄が家柄だけに長女については皇太子妃教育を徹底していたスペンサー家なのだが、チャールズ皇太子(当時、長女と付き合っていた)はどうしたわけか三女のダイアナを選んでしまう。

 これが、悲劇の始まりだったと言っても過言ではない。


 正直、お気楽暢気な立場の三女だったダイアナは、良くも悪くも恋と家庭に夢見る少女だった。勉学も嫌いだったから、義務教育後は大学進学ではなく、スイスの花嫁学校へ入学したが、すぐに挫折して帰国している。


 たらればを言っても仕方ないのだが、皇太子がちゃんと然るべき教育を受けた「姉(しかも付き合ってた)」の方を選んでいれば、二十世紀最大の王室スキャンダルを招くこともなかったし、ダイアナだって身の丈にあった貴族相手に結婚して、ほのぼの幸せに暮らせたはずなのだ。


 かくして、結婚と家庭に憧れを抱いていた二十歳のダイアナにとって、伝統的な英王室の闇はあまりにも深すぎた。夫は結婚前から(姉とは別の)愛人一筋だったし、子供が産まれても愛人とは切れることもなかった。

 その上、きちんと皇太子妃教育を受けていなかったダイアナにとっては何もかもが窮屈だったし、孤独だった。

 自身の両親も離婚していたから、ダイアナにとって「暖かい家庭」は何よりの理想だったのだろう。それが、新婚早々破綻したのだから心中いかばかりだったか。


 やがて、ダイアナ自身も外に自由を求めて浮気をするようになる(しかも二股してたよ……)。

 その最終的な相手がハロッズ(英国王室御用達超一流デパート・当時)を買い取ったエジプト系大富豪の息子、イスラム教徒のドディ・アルファイド氏だ。


 平成九年(一九九七年)八月三十一日、日付の変わったばかりの深夜。

 フランス・パリ市内アルマ広場の地下トンネル。


 パパラッチを振り切るために時速百五十キロ以上の猛スピードで走行していたメルセデス・ベンツが中央分離帯に正面から突っ込み大破した。

 別の走行車を避けるためだったという説もあるが、この時押し寄せたパパラッチの大半は、救助をするでもなくひたすら写真を撮りまくっていたそうだ。下衆にも程がある。(その後、フランス当局に殺人罪及び緊急援助義務違反でしょっぴかれている)


 午前四時、ダイアナ元妃は搬送先の病院で死亡が確認された。享年三十六歳。あまりにも衝撃的なニュースだった。


 残された王子たちにとっては、これ以上ない残酷な事件だと思う。

 葬列に並ぶ際、当時十四、五歳だったであろう兄ウィリアム王子の、母親によく似た面差しで歯を食いしばって悲しみを堪えていた姿も印象的だったが、泣き通しで一人で歩くこともままならず、父チャールズ皇太子に手を引かれて何とか列席していた弟ヘンリー王子の姿はあまりに痛々しかった。

 元々、出来の良い兄と、やんちゃで悪童の弟と比較されては拗ねていたヘンリー王子だが、母親の死を境に明らかに言動がおかしくなったと個人的には思っている。(薬物依存、ネオナチ傾倒、問題発言、奇行の数々が目立つようになった)


 先月、英本国でダイアナ元妃のメモリアル像の除幕式が行われたが、もし存命であれば還暦を迎えていたはずだと思うと、やはり早すぎた死が悔やまれる。

 静かに冥福を祈りたい。

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