七月三日 通天閣が完成しました

 ディープな大阪の代名詞、「新世界」にどーんと登場したランドマーク「通天閣つうてんかく」が完成したのは、明治四十五年(一九一二年)のことだ。

「天に通じる高層ビル」の命名のとおり、当時は日本一の高さを誇る摩天楼だった。


 初代通天閣の足元には、フランス・パリの凱旋門をイメージした映画館がどーんとあり、その上にエッフェル塔(の上部)をイメージした鉄骨造がどどーんとそびえていた。

 塔からロープウェイが行き来しており大いに賑わったが、昭和十八年(一九四三年)に映画館が炎上した際、大阪版エッフェル塔部分も解体されることになった。時代だから仕方がない。解体された通天閣の上部は、そのまま姿形を変えて出征していった。


 現代の姿は二代目のものである。

 昭和二十九年(一九五四年)に復興したい組がお金を出し合って再建したものだが、初代が消えて十三年の月日が流れていた。二代目のお披露目には更に三年待たなければならない。


 因みに、二代目の通天閣と東京タワーの設計者は同じ人物だという。

 東西鉄骨ブラザーズというわけだ。

(こういう表現でブラザー、シスターを使うと昨今の風潮で「差別的だ」と言われそうだが許してほしい。ヨーロッパの多くの言語で大型建築物は男性名詞由来なのだ)


 余談のカッコはさておき、通天閣といえば忘れてはならないのが「ビリケンさん」である。

 にっこり笑顔の独特の黄金色が眩い幸せのカミサマだが、彼をデザインしたのは、とあるアメリカ人デザイナーで、その人の夢に現れたカミサマの姿がビリケンさんだったというから、実にワールドワイドな話だ。明治四十一年(一九〇八年)のことである。


 しかもビリケンさんの名前の由来は「小さなビリー(billy-ken)」というそうだ。

 第二十七代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフト(当時)の愛称を付けているのである。お髭は立派だが、有名な写真からはビリケンスマイルは微塵も感じられない御仁だ。

 古今東西、アーティストと呼ばれる類の人たちは実に怖いもの知らずで大胆だと思う。(だが、それが良い)

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