三月八日 エスカレーターの日

 日本で初めて自動階段(エスカレーター)の試運転が行われた日。

 大正三年(一九一四年)三月八日、東京上野で開催予定であった「東京大正博覧会」のプレオープンにあたり、第一会場と第二会場を結ぶ連絡通路として設置されたものだったという。

 同博覧会は東京主催で開催期間三月二十日から七月末までの間に博物館や美術館をはじめとし、各官庁が期間限定で様々な催し会場を特設した展覧会だったそうだ。


 この時設置されたエスカレーターは期間限定の試運転だったわけだが、何にせよ日本初の出来事だった。

(のちに常設された日本初のエスカレーターは三越デパートだったそうだ)


 毎秒三〇センチで進む最新技術を堪能するため、博覧会開催期間におよそ七五〇万人が詰めかけたという。

 そのせいか、日本で初めてエスカレーター事故(怪我人)を出したのも、この博覧会だったそうだ。

 当時としては動く階段そのものが初体験だったから、バランスを崩して転倒したり、踏み台の間に足を取られたりしたそうだ。


 因みに、エスカレーターの速度は駅などのスムーズな移動手段を目的としている場合は速めに設定されていて、逆にデパートなどゆったりとショッピングを楽しむ空間では遅めに設定されているという。

 このゆったり速度は毎秒およそ五〇センチ程度だと言われている。

 厳密には、エスカレーターの定格速度は設置される角度によって異なり、それは建築法令によって定められているとのことだ。


 それによると勾配八度以上、三〇度未満の場合は、毎秒およそ七五センチ程度以下となるらしい。

 三〇度以上、三五度未満の場合は、毎秒五〇センチ以下の範囲で設定することになっているそうだ。あくまでも速い遅いはこの範囲に収まっているというわけである。


 そして、エスカレーターが世界で最初に登場したのはアメリカ合衆国なのだが、この時は移動手段としての導入ではなく、遊園地のアトラクションだったらしい。

 明治二十八年(一八九五年)、五年後に開催されるパリ万博(一九〇〇)へ出品するために開発されたものだった。

 ラテン語由来の「上に上げる(送る)もの」という意味から派生して命名された「エスカレーター」は、当時商標を取得していた新造語だったが、その後の普及で一般語句化されて現在に至る。

(普及しすぎて商標放棄しちゃったよ)


 技術がどんどん進化して、エスカレーターは現在、動く歩道と一体型になったタイプや、途中に平坦な踊り場を設けて段違い昇降するタイプ、上下階だけを繋いで完全に階段が空中に浮いたチューブタイプ、緩い曲線を描いて昇降するスパイラルタイプなど様々な形が登場している。


 特にこのスパイラルタイプについては、三菱電機の専売特許らしい。

 世界でおよそ九〇台余り製造設置されているそうだが、全て三菱製である。

 そのうち三十六台は国内で稼働しているそうだ(メンテコストがかかりすぎるため閉店引退組もいる)。

 現役組を挙げると、大阪のインテックス大阪や枚方ビオルネ、心斎橋ビッグステップ、広島の広島センタービル、千葉の中山競馬場、愛知の三菱電機稲沢製作所等々、乗り降りするだけで軽いレジャー気分を味わえる。


 何気ない日常の移動手段と化しているエスカレーターだが、かつては遊園地のアトラクションであったことを思いながら堪能するのも一興だ。

 一世紀あまりで実に便利な世の中になったものである。

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