一月四日 世界点字デー

 現在使用されている「点字」の原型を作ったフランス人盲学校教師ルイ・ブライユ(自身も盲目)の誕生日に因み、平成十二年(二〇〇〇年)に世界盲人連合によって制定された正式な国際デーの一つ。

 このことから、欧米では点字のことをそのまま「ブライユ(英語発音ではブレイル)」と表現している。


 ルイ・ブライユは文化六年(一八〇九年)一月四日、フランス北部に位置する小さな田舎町の馬具職人の四男として生まれた。

 彼が視力を失ったのは三歳の頃、不慮の事故(父親の工房で遊んでいて誤って器具で左目を損傷)が原因なのだが、この事故によって右目もまた交感性眼炎(片方の眼球を負傷したことにより反対側の眼のぶどう膜に炎症を起こす病気)を患い五歳にして両目の視野を失ってしまった。


 当時の時代背景では、障がいを抱える子供には教育は不要と考えられていたため、一家揃って随分と不遇に見舞われたようだが、それでも教会施設などを頼って生活に必要な知識などを身に付けていったという。


 視力こそ失ったが、ブライユは基本的にとても優秀だったようだ。

 十歳の時にパリにある王立盲学校へ進学し、この期間に夜間読字に出会う。


 点と線を組み合わせて暗闇の中でも意思の疎通をはかることができる十二点式記号(=通称、夜間読字)——これが後々の「点字」の原点となっている。

 ブライユはこれを六点式に置き直して、日常的に使える文字として発展させたわけだ。以後、点字はより使い勝手よくするために改良が繰り返されていく。


 晩年、ブライユは母校で教師となるが、前出の王立盲学校、王立とはいいつつ校舎として使用されていた建物の実態は元監獄で、衛生面や生活面で色々と問題があるような施設だった。

 ここに集う生徒や教師は次々と体調に不良をきたし、命を落としたものも多い。ブライユ自身も、二十六歳の時に肺結核に罹患し、それが原因で四十三歳で没している。


 故郷で静かに眠っていたブライユだが、百年後、その功績がフランス政府に認められて彼の遺骸は国民的英雄を祀る霊廟パンテオン(パリ五区)に移葬されていたりする。


 余談だが、ブライユが出会った夜間読字は、元々、十七世紀後半のイタリアで考案されたそうだ。

 それを十九世紀初頭にフランスの軍人が軍用文字として持ち帰り、それが盲学校でも応用できるのではという流れで、同時期に在学していたブライユと邂逅したという経緯である。

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