五月二十八日 ゴルフ記念日

 日本で初めてゴルフ場が出来たのは兵庫県神戸市だったが、日本で初めてゴルフ選手権が開催されたのは、神奈川県横浜市にある程ヶ谷ほどがやカントリー倶楽部である。

(既に東京駒沢に簡易九ホールのゴルフ場があったが、試合を想定した本格的なコースを備えた日本人専用ゴルフ場としては、横浜が初となる)


 大正十年(一九二一年)に程ヶ谷ゴルフ株式会社を設立した翌年に、カントリー倶楽部が発足する。資金集めに奔走しながら全十八ホールを備えたゴルフ場が完成したのは更に翌年の大正十二年(一九二三年)四月のことだ。

 当初、コースは保土ヶ谷ほどがや区常盤台にあった(現在の横浜国立大学内)。


 完成からわずか半年足らず、未曾有の大災害が関東一円を襲う——関東大震災である。コースもクラブハウスも損傷し、復旧のため閉鎖を余儀なくされた。

 しかし、めげている場合ではない。

 被災から四年後の昭和二年(一九二七年)には、第一回日本オープンゴルフ選手権の開催に漕ぎ着けた。

 この時の優勝者は赤星六郎氏だ。実兄、四郎氏と合わせて日本ゴルフ界を語る上で欠かすことのできない御仁方である。


 その後、昭和十年(一九三五年)には、四郎氏の設計のもとゴルフコースはバージョンアップしている。

 しかし時代は徐々にきな臭くなり、この年、ヨーロッパではナチスドイツが国連を脱退した。日本もこのままずるずると第二次世界大戦からの太平洋戦争へと突入していくことになる。

 首都圏のゴルフ場は軍に接収され、程ヶ谷は野菜畑にされた。残念ながら、これらのゴルフ場の多くはこのまま姿を消していく。


 戦後は米軍に接収され、程ヶ谷のクラブハウスは米軍家族のためのダンスホールへと様変わりし、その後、失火で全焼してしまった。

 満足に手入れもされていなかったコースは荒れ放題に荒れていたという。


 戦後すっかり周辺の土地環境も変わってしまった。ゴルフ場は移転の道を選ぶことになり、昭和四十二年(一九六七年)現在の場所で新たなスタートを切った。新コースの設計にも、四郎氏が携わっている。

 程ヶ谷カントリー倶楽部は、幾多の困難を乗り越え、激動の時代を見つめてきたゴルフ場と言えるだろう。

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