五月二十九日 コカコーラが初めて広告を打った日

 コカ・コーラ。今や世界二百以上の国と地域に展開する誰もが知るところの米大手炭酸飲料メーカーだ。

 そのコカ・コーラが初めて雑誌に広告を打ったのが、明治十九年(一八八六年)の五月二十九日付けアトランタ・ジャーナルだったという。

 美味しく、爽やか、軽やか、元気ハツラツ。後世どこかでほんのりと聞いたことのあるフレーズだが、世界初の炭酸コーラ水らしいシュワっとした宣伝文句だ。


 このコーラ飲料を開発したのは、アメリカのとある薬剤師で、彼は元々、鬱や神経衰弱症の対策としてコカワインの研究をしていたという。

 それまで、コカ(コカインを含む)は合法であったのだが、この時代アメリカでは禁酒法を導入する州が増えていく。アトランタのあるジョージア州もその一つだった。そこでコカの葉、コーラの実(カフェインを含む)などの成分を含んだシロップの開発にシフトしたというわけだ。(かつてインカ帝国が栄えていた南米大陸では、コカを疲労回復薬として服用する習慣があったという)


 当初は飲料水というよりも医薬品という側面が強かった。だからコーラ原液が最初に持ち込まれたのは薬局だ。そこで炭酸水(ソーダ)で薄めて試飲した結果は上々だった。

「どうよ?」

「イイネ!」


 というわけで、薬局に隣接した喫茶スペース(ソーダ・ファウンテンというらしい)で、一杯五セントで販売開始したそうだ。現在の為替だと五・五円くらいだが、明治四年(一八七一年)時点の新貨条例では一円=一両、一円=一ドルと定められ、明治三十年の貨幣法では一円=〇・五ドルになっている。その間をゆるっと為替相場が移行している最中だったと単純に理解しておく。

 そして、イイネしたものの販売当初の一日あたりの売り上げは平均九杯程度だったそうだ。開発者自身も、バカ売れするとは思っていなかったらしい。


 二年後、「事業権利ちょうだい——」と一説には無料タダ同然で買取を名乗り出たとあるビジネスマンがいた。それが初代コカ・コーラ社の社長である。(コカ・コーラ公式によると、彼もまた薬剤師であったそうだ)

 やり方には賛同しかねる部分もあるが、相当やり手だったのは間違いないのだろう。コカコーラのブランディングを推し進め、全米のボトリング会社とフランチャイズ契約を結んで、一気に流通販路を広げると、翌年には全米各地でコカコーラが普及していた。


 しかし、明治三十六年(一九〇三年)にもなると全米でコカインあかん、カフェイン減らせとなったので、様々な方面から裁判沙汰のオンパレードとなる。(各方面で軋轢を生むほど強引な販促もあったのだろうと勝手に推察する)


 裁判には勝ったが、シロップの成分は変えざるを得なかった。現在も原液は米アトランタ本社で製造管理され、製法は企業秘密だという。

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