一月十二日 桜島が大噴火して大隅半島と陸続きになりました

 地球を覆っている地殻——プレートと呼ばれる層は、およそ十枚ほど存在すると言われているが、そのうちの四つに跨る日本列島は、実は世界的に見ても類例のない複雑な地殻の上に存在しているといえる。


 特に九州地方を含む西日本の下は大陸岩盤であるユーラシアプレートの下に海洋岩盤であるフィリピン海プレートが沈み込むことで岩盤同士の摩擦圧力が常に生じており、その際、巻き込む海水によって海溝付近では融点が下がる。

 すなわち、溶けた岩盤がマグマとなって近くの岩盤の亀裂や薄い箇所を狙って噴き上がり隆起する……それが基本的な火山の原理だ。

 だから日本列島はトラフ沿いに火山が群発する地形となる。


 その一つ、鹿児島湾(錦江湾)に、ちょこんと存在する火山——桜島。

 今からおよそ二万五千年前、ここに鎮座していた姶良あいら火山が、山体が吹っ飛ぶほどの想像を絶する大噴火を起こして巨大カルデラを形成し、大量の海水が流れ込んだ。

 それが現在の鹿児島湾(錦江湾)である。


 その場所に、新たに生まれた小さな火山——それが桜島なのだが、いわば姶良火山の子供みたいなものだ。

 誕生は今からおよそ一万三千年ほど前だといわれており、北岳、中岳、南岳が連なる桜島は、実際のところ三つ子ということになる。

 やんちゃな桜島は活発に噴火活動を繰り返し、およそ四千年前には、ほぼほぼ現在の形になった。


 地質学的には誕生から十七回ほど大きな噴火を起こしていると考えられているが、有史にしっかりと記録されている大噴火は主に四つだ。


 室町幕府から戦乱の世へとシフトしつつある文明年間(一四七〇年代前半)の大噴火(文明噴火)では土手っ腹二箇所から溶岩流出し、北岳が変形してしまった。

 江戸時代、安永八年(一七七九年)には地震活動も記録されていて、百五十名を超える犠牲者を出す大噴火(安永噴火)を起こしている。


 そして大正三年(一九一四年)一月十二日、噴火前から地震活動が続き山頂の崩落を招いた大噴火(大正噴火)では、三つの集落を飲み込み、死傷者合わせて百七十名ほどを出し、二二〇〇戸以上の家屋を焼失させている。

 この時排出された火山灰や軽石は東京ドーム一六〇〇個分とも言われていて、ピンとこないかもしれないが、この時の噴火で大隅半島と陸続きになった。

 それほどの排出量だったということだ。

 島民二万人以上が島外へ避難を余儀なくされたが、この時の災害を教訓とし、こんにちでは一月十二日を「桜島の日」として防災啓発を促しているという。


 一番直近の大噴火は、昭和五十八年(一九八三年)十二月の大噴火(昭和噴火)だ。

 その後数年続いた噴火活動の中でも、昭和六十二年にはバチバチと雷放電する火山雲を発達させて真っ赤な噴煙を上げる衝撃写真が残っているので、記憶している人も多いことだろう。


 とはいえ、桜島は現在では北側の一部を除いてほとんど全島が国立公園に指定されていて、景勝地としての観光産業もさることながら自然保護区となっている緑豊かな土地だ。

 一度暴れ出すと人の手には負えないが、うまく付き合っていきたい元気な子——それが桜島である。

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