十二月十七日 ライト兄弟が有人動力飛行に成功した日
アメリカ、ノースカロライナ州キティホーク近郊キルデビルヒルズ——悪魔殺しの丘と命名された由来は、ラム酒(当時、海賊や海軍が飲む酒=悪魔を殺すほど強い酒という世間的なイメージがあった)を難破船から運び出し住民が砂丘の裏側に隠したことに由来するという。
常時安定した風が吹くというこの地域は、現在でも一般運行用としてファーストフライト空港が稼働中だ。
そして、それはライト兄弟と深い関わりがある。
明治三十六年(一九〇三年)十二月十七日。
この地で民間人による人類初の「有人動力」飛行機の実験飛行が行われた。
合計四回行われたテスト飛行の最長記録は飛距離二六〇メートル弱、わずか五十九秒という結果であったが、これが紛れもない「僕らを乗ーせーてー」あの地平線を機体が飛んだ瞬間である。
(実際は弟の単独飛行で最長記録を叩き出した)
世紀の実験を現地で見学していたのはわずか五名ほどだったという。
今でこそ、現在の航空機仕様の始まりとして広く認知され、ライト兄弟の功績は大きく讃えられているが、当時の世間の反応は非常に冷淡で嘲笑じみたものだったそうだ。
彼らの成功は、メディアでは酷評の嵐だったという。
「機械が空を飛ぶ? それも長時間? ないわ〜」
空気を熱して浮上する熱気球や、そこから派生した飛行船というのは十九世紀末、既に存在していて飛行実験も行われていたが、金属の塊が空を飛ぶという概念はぶっ飛んだ発想だったのである。
確かに「短い時間ふわっと浮いた」程度では、上空何千メートルを飛行して他所の国や地域に行くなど、理論上不可能と考えても仕方がない。
地上では鉄道網が敷かれ大量輸送の主力を担っていたし、海上で幅を利かせていたのは蒸気船だったような時代だから、なおさらだ。
しがない自転車業を営んでいたライト兄弟は、その後も不遇に見舞われる。
民間人の新しい概念による実験飛行の成功——残念ながら、この偉業に執拗に噛み付く団体が少なからず存在した。
軍事需要と利権が絡みに絡まった末、彼らの功績が正式にアメリカの航空機史上に掲載が認められたのは昭和十七年(一九四二年)のことである。兄は腸チフスが原因で一九一二年に死去していたし、弟も功績が認められてから六年後の一九四八年に心臓発作で亡くなっている。
その間、細々とライト社を立ち上げて飛行機事業に携わっていた兄弟なのだが、会社の売却からの吸収合併などを経てその流れを現在まで脈々と汲んでいるのが、最新鋭ステルス戦闘機 F-22 や F-35 を開発製造しているロッキード・マーティン社だったりする。
(日本では、政治汚職ロッキード事件で世間を騒がせた、あのロッキード社である……)
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