八月十一日 日本人女性初のオリンピック金メダリストが誕生した日

 昭和十一年(一九三六年)ドイツ。

 ちょび髭おじさん政権下で行われた第十一回ベルリンオリンピックは何かときな臭い世相とプロパガンダが香る大会であったが、出場した選手は一生懸命だった。


 水泳平泳二百メートル。

 この種目で日本人女性初の金メダリストが誕生する。

 前畑秀子(当時二十二歳)——前大会ロス五輪では僅差の銀メダルだった彼女は、引退を考えていたようだが周囲の強い後押しもあり現役続投を決意し、ベルリンに向けて一日二万メートル泳ぎ切るという猛練習を重ねて臨んだ五輪だった。

 水中で自らの汗の感覚が分かった程だったというから、いかに過酷な訓練だったか窺い知れるというものだ。


 ライバルは地元ドイツの代表選手。

 最後まで気を抜けないデッドヒートを一秒差で制した彼女は、堂々表彰台の一番高いところに立った。


 大会運営者、二位のドイツ代表ともちょび髭おじさん式敬礼をする中で優勝者の柏の鉢植え(ドイツの伝承「もっと伸びよ」に因んで授与された模様)を両手にそっと抱えて静かに一礼している姿には、毅然としたアスリート魂が感じられる。

 見切れているがおそらくは国旗に向かって礼をしている。(モノクロ写真が残っているので、ぜひ見てほしい)


 この時、日本ではラジオ放送で実況をしていたのだが、アナウンサーが連呼する熱の入った「前畑頑張れ」コール(実に二十回以上連呼していたそうだ)はその後レコード化されているという。

 それに因み、八月十一日は「頑張れの日」とも呼ばれている。


 前畑の獲得した金メダルは母校に寄贈され、校長直々に厳重に金庫で保管していたそうだが、第二次大戦時の空襲で金庫ごと吹っ飛ばされて行方不明となってしまった。現在見られるのはレプリカだという。


 その後、前畑は昭和三十九年(一九六四年)に紫綬褒章を受賞している。

 昭和五十二年(一九七七年)には、メダルの色を争った二位のドイツ代表と六十三歳の時に再会を果たし、ともに五十メートルほど水泳を楽しんだという。

 いかに時代がきな臭くとも、切磋琢磨した選手同士の交流には国境も時代も関係ないと思える心温まるエピソードだ。

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