九月二十五日 十円カレーチャリティ続けてます
明治三十六年(一九〇三年)、東京都千代田区。
元々は大名屋敷が立ち並んでいた一角が陸軍練兵場へと様変わりし、その後、公園として整備された。
それが「日比谷公園」である。
公園のオープンと同時にスタートした森のレストランこと「松本楼」の名物、ハイカラビーフカレー。創業当時から、ほぼ味を変えていないという老舗レストランのカレーは、一度は食べたい昔懐かしい憧れカレーだ。
松本楼では、九月二十五日に毎年恒例となっている「十円カレーチャリティ」というイベントを開催している。
先着千五百名に限り、カレー一皿を十円で提供し、その売り上げはユニセフを通して全額寄付されるというものだ。
チャリティのきっかけは、昭和四十六年(一九七一年)に起きた放火によって松本楼が全焼した事件にある。
この時、何があったのか。
この年、日米間で取り交わされた協定——「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」——通称、「沖縄返還協定」の調印が行われた。
これに反対する活動家によるデモ(昭和四十年代は全共闘が最も活発だった時期)が日比谷公園で行われ、その中で過激派によって松本楼は放火され、閉店に追い込まれた。とばっちりもいいところだ。
これには多くの同情と支援者が集まり、二年後の昭和四十八年(一九七三年)九月二十五日に、松本楼は無事に営業再開を果たすことができた。
その感謝イベントが「十円カレーチャリティ」に繋がっているというわけだ。
一応、誤解のないように補足しておくと、この時の「デモ」はあくまでも「反対派」によるもので、沖縄自体は昭和三十年代に遡り、祖国復帰を目指して返還運動に心血を注いでいた時期(さりとて戻りたい派だって当然いたわけさ)ありきの「沖縄返還協定」調印である。
それが四十年代に入り、社会党・共産党(当時)による「米軍全面撤退、即時無条件全面返還(この主張、今もやってますね)」という要求で VS 本土あるいは VS 政府の構図を煽り、そこに安保闘争がトッピングされ、過激な学生運動(全共闘)が日本全国津々浦々暴れ回っていた、ややこしい時代背景がある。
それぞれの主義主張を振りかざす自由のある国、日本だが、とりあえずカレーに暴力を振るうのは間違いだと申し添えて締めたい。
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