十月十六日 四元数ととのいました

 a + bi + cj + dk

 数学大好きっ子なら、おそらくテンションが上がってワクワクが止まらない世界、四元数。

 数学大嫌いっ子の日常生活にも、実はひっそりと深く関係している数学的および物理的概念の一つだ。


 純粋な数学の計算においては、十九世紀後半にはベクトル解析に取ってかわられてしまったが、二十世紀以降の科学の進歩——特にコンピューターや宇宙工学、物理学や分子動力学、信号処理等々さまざまな分野で大活躍している応用力の高い計算方式である。

 3DCG(アニメーション)が縦横無尽に動きを制御できるのも、四元数の賜物なのだ。


 四元数をまとめた四次元的な脳みその持ち主が、アイルランド出身のイギリス人数学者ウィリアム・R・ハミルトンさん(当時三十八歳)である。

 天保十四年(一八四三年)十月十六日。

 奥さんとダブリンの運河沿いを歩いている時に四元数の基本概念となる公式が頭の中で綺麗な形になったらしい。


 i  2= j 2 = k 2 = ijk = −1


 これ。


 長らく、複素数を発展させることに心血を注いできた同氏の感動はひとしおで、たまたま渡ろうとしていた石橋に公式を落書きしたほどらしい。

 流石に百六十年も経つので落書きそのものはとっくに消えてしまったようだが、代わりに現場には記念石碑が残されている。


 十歳になるまでに複数言語をマスターし、十六歳でラブラスの天文力学を読破した上「ここ間違ってまっせ」と指摘し、大学卒業前に天文台長に抜擢され、その後大学理事長にまでなってしまったような超次元的天才脳の持ち主である。

 当時から「ニュートンの再来」との呼び声も高かったらしい。


 ハミルトン氏は以後、四元数普及のために残りの人生の大半を費やすようになる。

 どのくらい力を入れていたかというと、四元数専門学校を作っちゃうくらいの本気度だった。


 コンピューターが普及し、宇宙科学技術が著しく進歩した今だからこそ「なんかよう分からんけど、四元数すげー!」と一般人にも言ってもらえるのだが、当時は先進的かつ斬新すぎて「なんかよう分からん、やべえ奴来た……」とドン引きされていたそうだ。

 あまりに一般人の理解を得られないので、ハミルトンさんはアル中と痛風を患いながら数学に没頭する偏屈じいさんに成り果て六十歳でこの世を去った。


 自宅から発見された遺体は膨大な量の数式を書き散らしたノート群と酒と食物に埋もれていたという。

 壮絶だが、少し羨ましくもある生き様と最期だと個人的には思っている。

 彼の残した偉大な功績に想いを寄せつつ、静かに冥福を祈りたい。

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