十二月三十日 地下鉄開業の日

 東京地下鉄道株式会社(現、東京メトロ)が初めて地下鉄道に旅客車両を走らせた日。

 昭和二年(一九二七年)十二月三十日、東京上野から浅草間(現、銀座線)およそ二・二キロメートルを五分弱で走行していたそうだ。

 既に大正時代に郵便輸送用の貨物車両の地下隧道すいどう運行は始まっていたが、旅客車としてはこれが初であった。

(ついでにアジア初でもあった)


 イギリス、ロンドンから鉄道技術を持ち帰り、ロンドン地下鉄(通称、TUBEチューブ)を模して自動改札(ハネが回転して人が通れる仕様)や間接照明などを取り入れた当時の時代の最先端だ。

 その物珍しさから開業初日に十万人が押し寄せたという。

 あんぱん一個が二銭で買えた時代、地下鉄乗車賃は十銭均一という料金設定だったが、どうやら盛況だったようだ。


 ちなみに、日本での地下鉄実現に大いに貢献した早川徳次はやかわ のりつぐは「地下鉄の父」などと呼ばれているが、尽力したのは地下鉄に留まらず、百貨店との提携や地下街の充実などにも手腕を発揮した御仁である。

 現在当たり前になった地下街ショッピングモールの原点はここにあると言って差し支えない。支援者には、二〇二四年新一万円札になる渋沢栄一や元老院GRI48(仮)の大隈重信など錚々たる面子が揃っていたりする。

 早川の名前はぜひ地下鉄とともに覚えておきたい功労者である。


 元々は大正十二年(一九二三年)に新橋ー上野間での運行予定が組まれていたのだが、同年九月に発生した関東大震災の影響で変更を余儀なくされ、工事の着工も震災後の大正十四年(一九二五年)と後倒しになって上野ー浅草間での開通となった。

 上野駅も元来地下水脈が豊富な土地柄、江戸時代には一時期枯渇しかかっていた水源だが、一応掘削段階である程度水量が戻ることを考慮して設計されていたようだが、それを上回る勢いで地下水資源が復活してしまい、現在では年々水嵩を増す水圧対策としてアンカーボルト固定と排水ポンプが二十四時間稼働しているというわけだ。

 今年七月に銀座線の一部区間で線路に水が溜まっていたことが原因で運転見合わせになったというニュースがあったが、水の腐敗対策として銀座線では循環排水が今も現役稼働しており、そのためのメンテナンスや駅構内の改修なども地味に行われていたりする。


 余談として、この地下水循環によってネズミの線路横断被害は無くなったそうだ。そういう副産物的なメリットもあるらしい。

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