十月五日 達磨忌(達磨大師の命日)

 西暦五二七年、中国に初めて禅を伝えたインドの偉いお坊さん。

 コトワザ「七転び八起き」の元になった人。「だるまさんが転んだ——」もこの諺に由来する遊びだよ。

 日本では曹洞宗そうとうしゅう(座禅修行をする宗派)の初祖として崇められているね。臨済宗りんざいしゅうとか黄檗宗おうばくしゅうも同じ「禅宗」だよ。


 達磨人形がころりとしたフォルムで赤いのは、達磨大師が座禅修行の際、寒さの厳しい冬場は赤い羽織りものを頭から被ってじっと座していた姿が元になっているんだって。


 教えを広めた最初の人を仏教では「祖師」と表現するのだけれど、うんとさかのぼって最初に仏教を開いた「祖師」は、もちろんお釈迦様だね。

 そのお釈迦様から数えて二十八代目の「祖師(禅宗の祖)」とされているのが達磨大師なんだ。

 すごく偉いから、中国じゃ「震旦初祖円覚大師菩提達磨大和尚しんたんしょそえんかくだいしぼだいだるまだいおしょう」って尊ばれてたらしいよ。


 伝わっている肖像画は、ぶっとい眉毛とぎょろっとした大きな目がちょっと怖い髭面の強面さんだね。

 当時の中国大陸は細々こまごまと南北に別れていて、北が「北魏」、南が「梁」って呼ばれてた頃なんだけど、達磨大師は「碧眼の胡僧(青い目をした西のお坊さん)」って呼ばれたりもしてたらしいよ。

 何だか、イケメン臭がするね。

 それもそのはずで、達磨大師も元の生まれは南インド(こっちも当時は細々してたよ)の一国の王子様だったんだ。

 王子様が仏門に入って修行しまくって大陸渡って座禅を広めて回っていたら、髭ボーボーの強面さんになっちゃったってことかな。修行の厳しさが窺えるね。


 そんな達磨大師なんだけど、毒殺されて亡くなったんだ。

 それが西暦五二八年、十月五日だったんだって。

 誰が毒盛ったかは定かじゃないけど一説には論敵(仏教らしく問答を通していろんな人と対話してたらしいよ)にられたって言われてる。でも、伝承じゃこの時すでに一五〇歳だったらしいから、何があっても大往生だよね。


 梁の武帝(色々行政改革を頑張ったYDKやれば出来た子。でも後半からは仏教にのめり込んで政治放り出しちゃったよ)相手でも塩対応するような達磨大師だったから、きっと「あいつ無いわ〜」って腹の中で思ってた偉い人がそこそこいたんだろうね。


 だから、禅宗のお寺さんでは、十月五日に達磨大師を偲んで法要を催すんだ。

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