十月四日 ソ連が世界初の人工衛星を打ち上げた日
一九五〇年代後半、冷戦期真っ只中のソビエト連邦おそロシアが計画した無人人工衛星打ち上げ計画(通称、スプートニク計画)の一端として、世界初の人工衛星——スプートニク一号の打ち上げに成功した日。
昭和三十二年(一九五七年)十月四日、モスクワ標準時二十二時二十八分三十四秒のことである。
直系五八センチ、重さ八三・六キログラム、アルミ製の球体に二・四メートルのアンテナが四本、一方向に向かって伸びている特徴的なフォルムの衛星だ。
〇・三秒ごとに衛星温度を地上に向かって送信し、約一時間六分少々で地球を周回していたそうだ。
衛星を機能させる電池寿命はおよそ三週間程度だったそうだが、電池切れ後も衛星は地球を周回し続けていたらしい。しかし制御も何もできないもんだから、およそ三ヶ月後には大気圏に突入して燃え尽きた。
スプートニク一号のミッションはこれで終わったわけだが、この衛星打ち上げを裏読みすると、おそロシアのおそロシアたる所以がチラッと垣間見えてくる。
というのも、衛星打ち上げに使用したロケット(Rー7型)の設計開発目的は「弾道ミサイル発射用」だったりする。
目的物を正しく軌道上に乗せるための実験に、無人人工衛星が使われたというわけだ。
この実験成功にソ連の皆さんは「素晴らシーバ」となったわけだが、一方で西側諸国代表アメリカさんは「OMG!」と叫び声をあげた。
俗にいう「スプートニク・ショック」というやつである。
で、どうしたかというと、「たわけ! 宇宙開発は戦争じゃなか! 汚い殺し合いとは天と地ほどに大違いじゃ! 宇宙開発とは男と男の磨き合い、これに尽きるとたい!」と左門豊作が叱責した——間違えた。
アメリカさんも奮起して、東西熱闘甲子園——じゃなかった、若い大国同士がしのぎを削る宇宙開発大合戦へと突入した。冷戦を象徴する事例の一つである。
スプートニクに関して言えば、途中ネズミを搭載したり名前を変えたりしながら、およそ七年間で通算二十五発ぶっ放している。
個人の希望としては、どの国が携わるにしろ、宇宙開発は左門くん的男気(名言)で行ってほしいものだ。
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